#0044【静岡茶の歴史(日本)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。

東海地方特集第二回は静岡のお茶の歴史を紹介します。

静岡県は風光明媚で温暖な土地です。温泉地も有し北には富士山を始めとした山々が連なり、安部川・大井川・天竜川などの河川が南北を縦断し、南には桜エビなどの水産物が豊饒な海に面しています。西部には浜名湖があり、こちらはウナギで有名です。

旧国名では西から遠江国、駿河国、伊豆国に分かれていました。

名産品の多い静岡ですが、今日は特に「お茶」を取り上げたいと思います。

日本におけるお茶栽培の歴史は、鎌倉時代初期に臨済宗という禅の宗派の開祖栄西(えいさい)が中国へ留学した際に茶の種を持ち帰ったことから始まります。カフェインを含んだお茶は夜を徹して厳しい修行を行うお坊さんにとって貴重なものでした。

このお茶を健康に良いものとして栄西は『喫茶養生記』を著し、時の将軍、源実朝に献上しました。やがて僧侶だけでなく武家社会にお茶を飲む習慣が広がっていきますが、南北朝の動乱や戦国時代の到来を受けて嗜好品だったお茶の栽培は廃れてしまいます。

戦国時代末期に政治が安定してくると、織田信長や豊臣秀吉などの庇護のもと、茶道が発展しますが、その中心は宇治などの京都・関西圏でした。

静岡では山間部で鎌倉時代中期からお茶の栽培が始まったと言われています。それが発展し名産化する過程には徳川家康が関わっています。

彼は幼少期を駿府(現静岡市)で過ごしたこともあり、隠居地として江戸から駿府に移ります。健康オタクで自分で漢方薬の調合をしていた家康は、健康飲料としてのお茶を愛好します。お茶会を開く時に嗜むだけでなく日常的にも飲んでいました。その御用茶として安倍川奥地で栽培された茶葉が献上されるようになります。

江戸幕府が成立し、政治の中心が関東へと移ると嗜好品・高級品としてのお茶の需要が高まり、江戸に近く栽培に適した土地を有する静岡で栽培が進みます。お茶の栽培のみならず製茶問屋も発展していきました。

1899年に清水港が国際港として開港されたことをきっかけに嗜好品・高級品としてのお茶は、アメリカやロシアへ輸出されるようになり更なる発展を遂げます。

第二次世界大戦後、日本社会全体が豊かになるとともにお茶の庶民化・大衆化が進み国内消費が増えていきました。

以上、本日の歴史小話でした!

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発行人:李東潤(りとんゆん)

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https://note.mu/1minute_history/m/m814f305c3ae2

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