#0247【知名度は低いけれども日本開国に(フィルモア)】
1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
今週は日本史に関連した欧米人について取り上げたいと思います。
今回は第13代アメリカ大統領であるフィルモアを紹介します。
現在のアメリカ大統領はトランプです。その前はオバマ。その更に前はブッシュ、クリントンと日本に住む我々にとってもアメリカ大統領の名前は身近なものです。
鎖国状態にあった江戸時代の日本を開国へと向かわせたのは、アメリカのペリー提督ですが彼に親書(お手紙)を持たせて派遣したのが、フィルモア大統領でした。
初めて日本と交渉を持ったアメリカ大統領とも言えます。
彼は第12代アメリカ副大統領でしたが、時の大統領が病死したことに伴い、副大統領から第13代アメリカ大統領へと昇格しました。
元々は弁護士としてキャリアを積みますが、その後アメリカ下院議員となり、政治の世界へと入ります。
日本を開国させたアメリカですが、幕末の動乱では英国が薩摩・長州の反幕派と結びつき、フランスは幕府側へと結びつきを強くしました。
日本の開国史において重要な役割を果たした米国がなぜか幕末の動乱期には姿を隠してしまいます。
理由に、奴隷制度を巡るアメリカ国内の対立がありました。
アメリカ北部は工業が発達し奴隷がなくとも生産活動・ビジネスが出来るように発展していきましたが、南部では大規模プランテーション(集団農場)において奴隷を必要としていたのです。
この国内対立が激しさを増したため、せっかく開国させた日本に食い込むどころの状態ではなかったのでした。
フィルモアが大統領をしていたのは1850年から1853年までの短い期間です。
フィルモアは米墨戦争(アメリカとメキシコの戦争)の間に併合された領土に奴隷制度を導入しないという提案に反対(南部諸州との融和を考え、なだめるため)、またネイティブ・アメリカン(インディアン)に対しては徹底排除の方針を進めました。
日本との関係構築以外での外交関係としては、ハワイやキューバにおいてフランスやイギリスと衝突していました。
ペリー提督がアメリカを出発したときはフィルモアが大統領だったのですが、その後の選挙で落選。
フィルモア大統領は短い任期でありましたが、ペリーに託された彼の親書を幕府が正式に受理したことから開国の検討が始まったことを考えると、日本史において非常に重要な足跡を残した人物です。
彼の落選後の1853年から1861年までに二人のアメリカ大統領がいましたが、どちらの大統領も奴隷制度について明確な反対姿勢を取らずに国内融和に意を尽くします。
しかし、アメリカ建国の精神と奴隷制度の矛盾がいよいよ耐えられなくなると、アメリカ国民はリンカーンを大統領に選びます。
大統領職から離れたフィルモアは、リンカーン不支持に回っていました。
奴隷制度維持を主張する南部諸州がアメリカ合衆国から離脱。アメリカは南北戦争へと突入したのです。
南北戦争では大量の武器が使用されましたが、南北戦争が終結すると大量の武器が国外へと流れだし、それが日本国内へと流入して、倒幕戦争である戊辰戦争に使われました。
アメリカは直接的には日本を開国させ、そして間接的に明治新政府を生み出したと言えます。
以上、本日の歴史小話でした!
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