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#0152【大きく叩いてこそ響く(西郷隆盛、明治維新の三傑)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。

今週は明治維新の三傑特集。前回は長州藩の木戸孝允を取り上げました。

今回は、今年の大河ドラマ『西郷どん(せごどん)』の主人公、薩摩藩の西郷隆盛です。

西郷隆盛といえば、上野の犬を連れた銅像が有名ですが寡黙ながらも肚の座った大人物だったと伝わっています。

坂本龍馬は、自分の師である徳川幕府の重臣勝海舟のお膳立てで西郷隆盛と初めて対面したときに、西郷を評して、

「西郷というやつは、わからぬやつでした。釣り鐘に例えると、小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く。もし、バカなら大きなバカで、利口なら大きな利口だろうと思います。ただ、その鐘をつく撞木が小さかったのが残念でした」

と語ります。これを聞いた勝海舟は、「評される人も評される人。評する人も評する人」と龍馬と西郷二人を高く評価します。

西郷は薩摩藩主の島津斉彬(なりあきら)に心酔しており、彼の薫陶のもと、大きく海外にも目を見開き大人物へと成長していきました。

薩摩藩は、関ケ原の戦いでは中央の情勢がよく分からないまま戦争に突入し、最初は徳川家康に味方しようとしますが意思疎通がうまく図れず結果として西軍についてしまいます。

しかし、関ケ原の戦いでは戦闘に参加せず、西軍の敗北が決定的となると徳川軍の中央を突破して、1600人が80人となる犠牲を払いながらも薩摩へと帰国します。

その後、徹底した抗戦態度を崩さなかったため、領土保全を図ることができましたが、この教訓から薩摩は幕末において諜報の達人となります。

その中心にいたのが西郷隆盛でした。幕府方の会津藩と同盟を当初組んで長州藩を京都から追い出します。桂小五郎(木戸孝允の当時の名)の敵でした。

しかし、倒幕の機運が高まると、坂本龍馬を仲立ちにして長州藩と合流。倒幕への流れを決定的としました。

1868年に倒幕が成功した後は、薩摩藩のリーダー格として重職につきますが、明治政府の近代化改革では武士の既得権益を奪う施策が進められていきます。

政府内での対立に敗れた西郷は地元に帰りますが、人望厚い西郷。
苦労している倒幕の仲間たちの声に押されて1877年に明治政府に対して西南戦争を起こします。

本人は明治政府に逆らうつもりはなかったと伝わっていますが、進退窮まった仲間たちを見捨てられずに出た行動だったと言われています。

しかし、名城熊本城に阻まれて思うような軍事行動がとれません。政府軍に囲まれ、西郷は覚悟を決めます。

「晋どん、もうここいらでよか」

傍らにいた別府晋介にこう言って介錯(切腹の際に首を落としてもらうこと)を頼んだと伝わっています。
木戸孝允が病死した同じ年に西郷は切腹して果てました。享年、満49歳。

以上、本日の歴史小話でした!

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発行人:李東潤(りとんゆん)
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https://note.mu/1minute_history/m/m814f305c3ae2
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