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#0125【ジロンド派の女王(ロラン夫人②_フランス革命)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。

前回の【ロラン夫人①】はこちら

1789年にパリで革命が起きると進歩的な姿勢が買われた夫のロランが国会議員に選出されました。

彼女も夫に付き従い、パリへと進出します。

自宅にサロンを開き、議会で活躍している議員たちを自宅に呼んでは、革命について熱く語り合います。表面上は夫が中心ですが実際に差配するのはロラン夫人でした。

そして、ロラン夫人の知性や女性としての魅力にひきつけられて多くの革命家たちがサロンに集うようになります。

1792年に夫のロランが内務大臣の要職につきますが、夫人が彼の演説草稿をほぼ全て手掛けます。

ロラン邸や内務大臣官邸はジロンド派の拠点となり、そこに集った同志たちへ彼女の指示が飛んでいきます。

ジロンド派有力議員の一人であるビュゾーをも操って政治に口出ししていました。

フランス革命は新しい時代を呼び起こしましたが、革新的な男性であっても女性の解放に関してはまだまだ消極的な状態でした。

賢明なロラン夫人は、自分が表に出ることを好まず男性を立てて「古き良き女性」タイプを演じます。

彼女のある手紙では「現在の風俗の中では、まだ女性が目立つような行動をすることが許されているとは思われません。(中略)女性が政治に関わっているように見えてはならないのです。」と語っています。

個々の同志に指示は出しても、全体的な会議や会合では発言することがありませんでした。

しかし、頭脳明晰で決断力を持つ「革命の女」であるロラン夫人が事実上のリーダーであることは世間にも知られていきます。

やがて彼女は「ジロンド派の女王」と呼ばれることになります。

世間から、ロラン夫人に対する悪意ある噂も立てられるようになり、同時に共和制を望む勢力の中でも争いが起きるようになります。

穏健的な方法で共和制へ移行しようとするジロンド派に対して、強硬的な手段を使ってでも共和制へ移行し革命の理念を実現しようとする理想主義的なジャコバン派が台頭し、両派の対立が増していきました。

大して政治的野心を持たない夫のロラン氏は1793年には大臣を辞職してしまいます。

ジロンド派は徐々にジャコバン派に追いつめられていきます。

以上、本日の歴史小話でした!

(続き:No.126【自由とは何か(ロラン夫人③_フランス革命)】)

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発行人:李東潤(りとんゆん)
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