#0039【平城京遷都(日本、8世紀前半)】

こんばんは! 1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。

水曜日の続きです。

707年に25歳の若さで文武天皇は亡くなります。彼の息子、首皇子(おびとのみこ)はまだ7歳でした。

首皇子への皇位継承を確実にするために、文武天皇の母が元明天皇(げんめいてんのう)として即位しました。

元明天皇は、708年に唐の長安を模した碁盤の目に街道を整備した大規模都市の建設を進めました。710年にはその都市に遷都し「平城京(現、奈良)」と呼ばれるようになります。

また、時を同じくして日本で最初の流通貨幣と言われる和同開珎(わどうかいちん、銅貨)の鋳造・発行を行いました。

(これ以前に富本銭もありますが流通性については議論あり。)

更に、元明天皇在位中に現存する最初の日本の歴史書「古事記」を712年に編纂しました。

715年に入ると元明天皇は老齢を理由に譲位を考えますが、首皇子がまだ15歳であることから、自分の娘(首皇子の伯母)を元正天皇(げんしょうてんのう)としました。

確実に自分の孫へ天皇位が渡るようにするための処置ですが、執念としか言いようがありません。この結果、中継ぎとして即位した元正天皇は、生涯独身を貫かなければならないことになりました。もし彼女が子どもを産んだ場合、その子孫と首皇子の家系とが争うような事態を避けるためです。

元明天皇は721年に孫の即位を見ずに没します。

元正天皇の治世には、720年に古事記と並ぶ重要な古代歴史書「日本書紀」が完成します。

また、723年に「三世一身の法」という新規開拓した土地の私有を三世代(孫の代)まで認める法令が定められました。

律令制度においては、土地は全て国有でしたが一部緩和されたことになります。

翌724年、在位十年目にして元正天皇は甥に天皇位を譲位します。大仏建立で有名な聖武天皇です。元正天皇はその後、748年まで生きて当時としては長寿の69歳で没しました。

聖武天皇の政治や大仏建立については、来月のこの日本史シリーズにてご紹介します。

以上、今週の歴史小話でした!

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発行人:李東潤(りとんゆん)

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