見出し画像

#0155【良薬は口に苦けれども(隋の煬帝、中国の暴君)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。今週は暴君特集をしています。

第二弾の今回は、中国から隋の煬帝(ようだい)に登場頂きます。

この煬帝という人物は、No.154で取り上げたネロを西洋の暴君横綱とすると、東洋の暴君横綱と位置付けられることが多いです。そもそも「煬」という漢字には、「悪逆の限りをつくしたトンデモナイ人」を意味しています。

No.154でも説明しましたが、暴君は暗君・お馬鹿なリーダーとちがって、能力としては優秀なものを持っていることが多いです。違いは自己の感情制御ができるかどうか。

「良薬は口に苦けれども病に利あり。 忠言は耳に逆らえども行いに利あり。」という孔子の言葉が伝わっています。自分にとって不都合で嫌なことを見つめることができるかどうかが、暴君と名君との境目になってきます。

これは何も歴史上の人物やリーダーにだけが求められることではありません。日頃の生活の中でも慕われる人が身近にいると思います。

その人がなぜ慕われているのでしょうか。能力でしょうか。色んなパターンがあると思いますが、きっと能力だけではなく人格・品格といった部分ではないでしょうか。

煬帝の話に戻ります。

彼は、非常に優秀な人物でした。彼の父、楊堅(皇帝名:文帝)が隋という国を建てて300年近くに及んだ中国の分裂に終止符を打ち、589年に統一へと導きました。

その統一戦争の総指揮官となったのが、煬帝でした。しかし、彼は次男であったため、皇太子は長男の楊勇が任じられていました。

煬帝は何とか、自分が後継ぎになりたいと画策をします。父と母の気持ちを向けるために、一切の贅沢を控えます。

あるとき、父の文帝が彼の自宅を訪れると、楽器類に埃がたまっていることに気付きます。

「ああ、次男は長男の楊勇と違って、宴会(当時の宴会には音曲が伴っていました)が好きではないのだな。」

そして、煬帝は妻以外の女性を近づけませんでした。母は潔癖なタイプで、こういった次男の姿勢を好ましく思います。

父と母の心が長男から離れ、自分に向いていることを確信した煬帝は、兄を追い落とす計画を実行に移します。謀反を企んでいるとぬれぎぬを着せられた兄は皇太子の地位を追われ、晴れて煬帝が後継ぎとなったのです。

皇帝に即位した煬帝は、中国南部の長江(揚子江)から中国北部の北京付近までを繋ぐ大運河の開削を命じます。

この事業自体は中国の経済力を発展させる上で必要な公共事業だったといえますが、彼はこの大工事に加えて、大宮殿の建設、海外遠征なども繰り返します。

自分の能力ならできると思ったのでしょう。しかし海外遠征は失敗し、民衆の疲弊は溜まっていきます。

遂に反乱が頻発すると、煬帝はさっさと諦め都から逃亡して、デカダンス的な廃頽生活にふけります。

そして、鏡をみては「自分の首を落とすのは誰かのう」とつぶやくなど、他人事のような態度に終始します。

煬帝の首は、近衛兵を率いていた側近の手によって落とされ、49年の人生に幕を閉じました。618年のことです。

煬帝が開削した大運河は、その後の中国の物流の大動脈として機能し、今も活用されています。

以上、本日の歴史小話でした!

========================
発行人:李東潤(りとんゆん)
連絡先:history.on.demand.seminar@gmail.com     twitter: https://twitter.com/1minute_history
主要参考文献等リスト:
https://note.mu/1minute_history/m/m814f305c3ae2
※本メルマガの著作権は李東潤に属しますが、転送・シェア等はご自由に展開頂いて構いません。
※配信登録希望者は、以下URLをご利用ください。 http://mail.os7.biz/b/QTHU
========================

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?