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『ヨーロッパ全史』用語解説 第3章:ゴート族、フン人、キリスト教徒

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『ヨーロッパ全史』 – 2020/4/25
サイモン・ジェンキンス (著), 森夏樹 (翻訳)

の各章に出てくる用語を解説しているページです。

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第3章 ゴート族、フン人、キリスト教徒

「コンスタンティヌスとビザンティウム」

【コンスタンティヌス1世】
生没年270-337年。ローマ帝国の皇帝。前章で触れたとおり、複数の皇帝によって分割されていたローマ帝国を再統一し、元老院からマクシムス(大帝)の称号を与えられたことからコンスタンティヌス大帝とも呼ばれます。
ローマ帝国の皇帝として初めてキリスト教を信仰した人物であり、その後のキリスト教の拡大と発展に大きな影響を与えました。ローマカトリック、正教会などキリスト教の主要宗派において聖人ともされています。
コンスタンティヌス1世自身が心の底からキリスト教を信じていたのか、それとも政治的に利用するためにキリスト教徒になったのかは見解が分かれるところです。
ローマ帝国の首都をイタリア・ローマから、ギリシアのビザンティオンにうつし大都市建設をおこないました。ビザンティオンはコンスタンティノープル(現イスタンブール)に改称され、現代社会においても主要都市として機能しています。
 
【330年、ビザンティウムはコンスタンティノポリスと改称され首都となる。新しいローマの誕生である】
それまでのローマでは東方アジアとは距離があり、貿易面や防衛面でも西に偏ってしまっていました。そのため、新しい帝国の首都としてヨーロッパとアジアを結ぶコンスタンティノープルが建設されたのです。330年に建設されてから1453年に陥落するまでの間、ローマ帝国(東ローマ帝国時代も含む)の首都として機能し、現代に至っても大都市として存在感を発揮しています。
ここでいう「新しいローマの誕生」というのは、新しい首都、新しい地中海世界の中心都市、みたいな意味合いで捉えておけばOKです。
 
【ミラノ勅令】
313年にコンスタンティヌス1世(当時は西方正帝)とリキニウス(当時の東方正帝)の連名でだされた命令書。内容は、全ローマ帝国市民に対して信教の自由を保証したものです。
ただ、現在ではこの命令書の実在性や起草者について疑問視する人もいます。
 
【キリスト教は統一とはほど遠い状態】
現代においてもキリスト教は、カトリック教会、プロテスタント、正教会など多くの分派があるわけですが、この古代ローマ時代の当時からキリスト教は統一されていませんでした。なぜもめるのか。イスラム教の場合は、9割がスンニ派と言われていて、教義における分派が少ないのですがキリスト教は非常に分派が多いんですね。理由は「イエス・キリストって何なの?」というところが議論を巻き起こすからです。これはヨーロッパの歴史の根幹にあたる部分です。

【アリウス】
生没年250-336年。古代キリスト教における重要な人物で、アレクサンドリアの司祭でした。イエス・キリストとは何者かについて、アリウス主義といわれる見解を展開。のちに異端とされてしまいます。
どんなことを主張したかというと、すごーく簡単にいうと、キリスト教には「父なる神・神の子イエス・聖霊」という三つの位格(ペルソナ)があるんだけど、これは全部同じ「一つのもの」なんだよという教えがあり、これを三位一体といって現在もオーソドックスに(というか根幹として)キリスト教の教義として存在します。これをアタナシウス派といいます。
この見解に対してアリウスは、「いやいや、父なる神と人間として生まれたイエス・キリストが同じわけないじゃん」と主張したのです。
簡単に図示すると以下の感じです。

 神様とイエスは別物よと主張したわけです。
これが後述のニカイア公会議というところで異端とされてしまい、アリウスとその同調者たちは破門されてしまいました。後に復帰を許され、336年にコンスタンティノープルで死去しました。
 
【ニカイア(現在のイズニク)で公会議】
325年にアナトリア半島ニカイア(現トルコ共和国イズニク)で開かれたキリスト教における最初の全体会議(これを公会議といいます)のことを、ニカイア公会議と言います。この後にもニカイアで公会議が開かれたので、第1ニカイア公会議とも呼ばれますが、何もなくニカイア公会議と言われたら、この325年の公会議のことを指します。
キリスト教は「イエス・キリストとは何者か」という点が非常に曖昧で、それ以外にも曖昧な部分がいっぱいあるんですが、「何が正しい教えなの?」というのを整理する必要が出てきました。
それまでは、各地の教会がそれぞれで判断していたわけですが、キリスト教が公認されてローマ帝国全体に広がっていくにあたって、「統一見解」が必要となり、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世の指導と庇護の下で、全体会議が開かれることになりました。
この公会議で、三位一体説が採用されアリウス派は異端とされたのでした。
しかし、そのあとも政治的な意図も含んだ争いが続いて状況は二転三転してしまいます。
 
【ニカイア信条】
325年のニカイア公会議で採択されたもので、キリスト教における基本信条(根幹になる信じるべきこと)です。カトリック、プロテスタントから正教会までほとんどの主要宗派で今も広く使われています。ポイントは、父なる神と子なるイエス・キリストは、「同質」すなわち同じものとされたことです。これは聖書には記載がない言葉ですが、聖書を解釈するにあたって、父なる神と子なるイエス・キリストは「同質」であると信じるべきということがキリスト教徒として、信じるべきことであるとされたわけです。キリスト教は聖書に書いていないことをどう解釈するのかが難しい宗教なのです。
 
【カルヴァリー】
文中にあるとおり「ゴルゴタの丘」のことを指す言葉です。ラテン語だとカルヴァリー。ゴルゴタの丘とは、イエス・キリストが十字架に架けられた場所ですが、ゴルゴタもカルヴァリーもどちらも「頭蓋骨」や「髑髏」といった意味です。
 
【ノアの箱舟】
旧約聖書の創世記に出てくるもので、地上に増えた人間たちの堕落っぷりを残念がった神様が「そうだ大洪水を起こしてリセットしよう」とハチャメチャな決断をします。とはいえ、人間全員がダメダメになったと思ったらノアってやつだけは真面目っぽいなということで、彼にだけ「大洪水起こすから、船作っておけよ。ついでに動物とかもつがいにして載せておけよ。」と伝えてあげました。
そのノアが作って家族や動物とともに大洪水で死なずに済んだ船のことをノアの箱舟といいます。
この後、いちおう神様は、「もう大洪水しないね」とノアたちに約束してくれました。なので、たぶんもう起きない(笑)。
ちなみに、この大洪水のあと、地上から水が引いたかどうかを確かめるためにノアが船から鳩を放つとその鳩がオリーブの葉を加えて船に戻ってきました。これで大洪水がおさまったと知ることができたことから、「鳩とオリーブ」が平和の象徴となって今もモチーフとして使われています。
 
【イエスが少しのパンと魚を5000人分に増やした】
こちらは新約聖書の中にあるエピソードです。イエス・キリストが起こした奇跡の一つとして名高いです。どんな話なのかは僕のnote記事があるので、こちらをお読みください(笑)
https://note.com/1minute_history/n/neda871258c25
 
【ノウァティアヌス派、ドナトゥス派、~ネストリウス派、合性論派。】
キリスト教が初期の段階から多くの解釈の元、分裂が激しかったということだけ抑えておけばOKです。ちなみにネストリウス派は弾圧されたのち、アジアに布教され、中国に「景教」として伝わりました。

「フン人、ゴート族、ヴァンダル族」

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