#0019【松尾芭蕉(日本、17世紀後半)】

こんばんは! 1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。

今日は俳聖、松尾芭蕉(1644年10月~1694年11月)を取り上げます。

松尾芭蕉は、それまで和歌(五・七・五・七・七)の一部を切り出して諧謔的(サラリーマン川柳みたいなイメージ)なものが多かった俳句(五・七・五)を芸術として高めた江戸時代の人です。

元々は伊賀(三重県)の人でしたが、江戸に出てきて俳句の先生をしていました。

その後、一念発起して奥州(東北地方)への旅に出て、その先々で有名な俳句を残していきました。

ちなみに伊賀出身ということもあり、松尾芭蕉は忍者でこの旅もスパイ活動の一環だったのではないかという説があります。

この旅の間の代表的な俳句としては、

 1.「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢のあと」

 2.「荒海や 佐渡によこたふ 天の川」

 3.「五月雨を 集めてはやし 最上川」

があり、僕は幻想的な俳句と感じています。

ところで、芭蕉の俳句の中でもっとも有名なものは「古池や 蛙飛び込む 水の音」ですが、これは「実際に」蛙が古池に飛び込んだ情景を見て詠んだものだと思いますか?

「何を言っているんだ。蛙が古池に飛び込んで、芭蕉が詠んだ俳句だろう。」

と考える方が多いと思いますが、上記の1と2の句と比べてみてください。構成が似ています。一方、1と2の真ん中の部分は写生ではなく芭蕉の想像力の世界です。

現代の俳人である長谷川櫂氏は、その著書『古池に蛙はとびこんだか(花神社、2005年)』にて「蛙は実際には古池に飛び込んでいない」と主張され、この句は単なる写生の句ではなく、もっと幻想的なものであると述べられています。なかなか面白い本ですので、ご興味を持たれた方は読んでみてはいかがでしょうか。(Amazonで入手可能です。)

さて、この旅を終えて一旦江戸に戻った芭蕉は「おくのほそ道」を書き上げました。「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」から始まる冒頭文は、国語の教科書にも必ず取り上げられています。

その後、芭蕉は再び旅に出て伊賀から大坂に向かう途中で病に倒れ、死去しました。

最後の句は「旅に病んで 夢は枯野を 駆け廻る」でした。

死去後は、滋賀県にある平安時代末期の武将木曽義仲の墓の隣に埋めて欲しいとの遺言に従い、埋葬されました。芭蕉は、今も変わらず義仲の隣で静かに眠っています。

以上、本日の歴史小話でした!

========================

発行人:李東潤(りとんゆん)

連絡先:history.on.demand.seminar@gmail.com     twitter: @1minute_history

主要参考文献等リスト:

https://note.mu/1minute_history/m/m814f305c3ae2

※本メルマガの著作権は李東潤に属しますが、転送・シェア等はご自由に展開頂いて構いません。

※配信登録希望者は、以下URLをご利用ください。 http://mail.os7.biz/b/QTHU

========================

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?