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#0085【斎藤道三(日本、16世紀前半)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
戦国時代のメジャーどころを今週は紹介したいと思います。

最初は、織田信長のお舅さんとしても有名な「美濃のマムシ」斎藤道三です。

斎藤道三は、司馬遼太郎の傑作小説「国盗り物語」の主人公であり、一代で油売りの商人から美濃(岐阜県南部)の大名へと成り上がった下剋上のシンボルとして描かれています。

しかし、近年の研究により油売りの商人だったのは道三の父親であり、父が作った足がかりをベースに道三が美濃の大名へとなったと考えられています。

親子二代による下剋上の物語としても、名門土岐氏を押しのけて一国の主に成り上がったことに変わりはないと思います。

斎藤道三(とその父親)は、どうやって成り上がったのでしょうか。一つには油売りの大商人として蓄えた財力です。

油売りと聞くと、行商のイメージがありますが、当時の商業はライセンスビジネスであり、油などの商品を売るためには大本の「座」にライセンスフィーを払う必要がありました。

また、こういった商品を売るためには「市」へ出店する必要があり、「市」が立つような大広場があって人が集まる場所は、当時、神社やお寺などに限定されていました。そのため、神社やお寺に場所代を支払う必要もあります。

物の原価に対して、ライセンスフィー・場所代などが加算されていったため、物の価格は高く、また自由参入が出来なかったため原価も高いままでした。

こういった規制を排除するための政策が有名な「楽市楽座」というものです。ここでの「楽」はFreeという意味です。これを道三のお婿さんだった織田信長が実施したと考えると感慨深いものがありますね。

さて、道三の話に戻るとその財力と知恵を使って、まずは美濃国の家老の地位を乗っ取ります。土岐氏のお大名は道三を信頼し、政治や軍事を任せます。さらには自分の愛人を道三に与えました。

女性には甚だ不快な話と思いますが、当時は主君が愛した女性を家臣に与えることは褒美の一種でした(拝領妻といいます)。信頼している家臣に対してのみ行われることです。

そこまで信頼されていた道三ですが、政治基盤を失った土岐氏を追い出して遂に自分が国主となりました。

その後も勢力を拡大し、愛知県北部へと進出し、織田信秀(信長の父)と戦います。一進一退の攻防が続いたため、和睦することにし、道三の娘が信長に嫁ぐこととなりました。

道三には、土岐氏からの拝領妻との間に子どもがいて斎藤義龍と言います。

急激に勢力を伸ばして国主の地位を奪った成り上がりの道三に敵対する勢力もいました。その勢力が義龍に「貴方の実の父は、道三ではなく、土岐氏です」と囁きました。

この話が本当かどうかは誰にも分かりません。しかし義龍は、父への反発もあり、この話を信じました。最終的に義龍は道三と合戦に及びます。

道三は、この戦いで敗死してその人生を終えました。

道三は信長と会見したことがあり「我が子孫はやがて信長に飲み込まれるだろう」と予言します。

義龍は若くして病死し、その息子である龍興の代に斎藤氏は美濃から追い出されました。

新しい国主は織田信長でした。「No.43岐阜の由来」に書いたとおり、信長は美濃国の首府の名前を「岐阜」とし、ここから天下統一を目指していきます。

以上、本日の歴史小話でした!

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発行人:李東潤(りとんゆん)
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https://note.mu/1minute_history/m/m814f305c3ae2
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