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唐戯曲を読む!第4回 『蛇姫様』(特別ゲスト:中野敦之)レポート

唐戯曲を読む!第4回
2021年3月21日19:30-21:30
『蛇姫様』(特別ゲスト:中野敦之[演出家・劇団唐ゼミ☆主宰])

こちらは資料として、当日の講義のノート(板書)を簡単に書き起こしたものです。
会の雰囲気を伝えるものとしてお楽しみ頂ければ幸いです。

【作品基本情報】

『蛇姫様』
1977年4月17日初演
初演は福岡から関東へ上がってくるツアーだった。
注目すべきは紅テント10周年の公演であるということ。
紅テント最初の公演は『腰巻(月笛)お仙』@新宿花園神社
唐組の入団試験は2月11日(紀元節・唐さんの誕生日 試験後に宴会を催す)である。
そのようにして、家族や諸々の節目を大切にされるのが唐さんである。
唐さんはクリスマスケーキを持参して、緊張して花園神社への打ち合わせへ馳せ参じていたらしい。
高円寺駅前には世界一のパティシエのつくるケーキ屋さんがあり、そこでクリスマスケーキを購入するとのこと。
神社にクリスマスケーキとはこれ如何に。

『腰巻お仙』には忠太郎という登場人物が出てくる。
長谷川伸の『瞼の母』(男の子がお母さんを探す話)に影響を受けた作品であった。
当時の同棲ブームと、堕胎ブーム。
『腰巻お仙』から10年経って、今度は女の子が、自分のお父さんは誰だろうという作品を書く 
ある種単純な思考回路の唐さんという一側面。

『桃太郎の母』という作品もあり、これは女の子がお母さんを求める話(娘さんが生まれてから戯曲中に女性器を指す言葉が書けなくなった唐さん)
『腰巻お仙』 ラストシーンに出てくる青大将→ドクター袋小路の正体だった
蛇姫様のヒロイン、あけび 小倉出身 
お母さんの名前をシノという(知恵がイタコとして呼び寄せる) 
母子家庭に生まれ育った。 母の日記の中にはよくわからない文字が書かれていて、読めない。
→これはハングル文字であった。 あけびには「ハンニャカホンニャカ」としか読めない。
そして実は伝次さんがキーマンであった、という結末になる。

あけびは大事な日記をスラれて、自らスリ業界に入る。同業者としてスリ返そうとするのだった。
そして果たして彼女の日記をスった小林青年に出会う。
小林、あけび、立ちションと3人で主人公チームを運営していくことに。

権八(スリの親方)→伝次であったと後に明らかになる
青色申告→青大将(蛇)からの派生

冒頭の汽笛 この『蛇姫様』の前日譚だということが後にわかる。
朝鮮戦争只中  ラピュタの冒頭のシーンようなイメージ
OP 玄界灘を渡ってくる船の汽笛のイメージ

物語がリニアに進行しないのが唐戯曲の難しさである。

読み合わせ:冒頭から

冒頭 スリ修行をしているのだが、何か間抜けである。その後バテレンと小倉時代の話が披露される。
その後女と小林との出会いのシーン
少年探偵団ー小林さんという話題 
明智小五郎 洋館にたどり着くと二十面相の家、というお決まりの件がある。 
明智小五郎の部下の子供たち 小林少年のことです。

少年探偵団の小林さん 
なのに少年ではない 小林さんが犯人を捕まえる側から犯人の側へ転じている
山手線(やまてせん と読みます 今はやまのてせん その後やまてせんと呼ばれていた時期があったり、という風に変遷するらしい スリのコードネーム)

小林は怪人を捕らえるためにスリをやっているが、幾らかの義侠心がある。
ある種の繊細さも兼ね備えている。スネに傷もつものとして強がる。疑いの目で見られるものの、正義の味方としてアピールしたい。

薮野家を訪ねるあけびのシーン ここで大切なのはお父さん会えるのかもしれない、という期待。
方言が出てくる→母ちゃんのことを思って本音が出てくる
箱師(ハコシ) 電車などの乗り物専門のスリ師のこと

あけびは根が雑に育っている。
しかし「何だ、お前」と言われると丁寧になる。
あけびは青色に丁寧に接しないとお父さんへの道が拓かれないかもしれない、というかお父さんかもしれない…
あけびが薮野家が尋ねて来た理由が明らかになる 

あけびが薮野家へ来たことは全然喜ぶべきことじゃないということが物語が終わると明らかになる。

青色申告はハゲ頭。
ズベ公→グレてた。小倉の人は大概不良ですよね、という唐さんの認識。
唐さんは台東区の生まれで、山の手に対するコンプレックスが凄い。 
御茶ノ水方面を見上げる目線、そして足立区墨田区を見下す唐さん。

『腰巻お仙』のハゲの客 毎日床屋にいる永遠のお客さん ハゲの客というのが出てきた。 
青色申告は、故にはげていなければならない モチーフは使い回すもの

あけびとしては持ち上げるつもりで青色申告のことを「お禿どん」と呼ぶが奏功しない 
そして何より、キャンプ・ジョーノという忌まわしい記憶
城野 朝鮮戦争の頃小倉は米軍の朝鮮への最後の起点となった場所 
朝鮮への前線基地という言い方ができるのが城野キャンプでした。
それはつまり米兵が朝鮮から帰ってくる場所でもある。
死体となって戦場から帰ってくるので、キャンプ城野 エンバーミング=死体化粧 
というのが今作の大きなモチーフとなっている。

唐さんが『蛇姫様』執筆時に影響を受けただろう作品

松本清張 短編小説 『黒地の絵』 小倉の描写がある。
戦地から戻り、やけになった米兵による暴力・強姦の過酷な小説。
一緒にいられないので離婚し、旦那は死体処理施設で働く 次から次へと死体が運ばれ、死体を化粧しながら 妻を犯した男を探している 
鷲の刺青をしている黒人を探す話

唐さんはこれを読んだ、とは明言しないが、おそらくこの作品に影響を受けている。
そういうキャンプ・ジョーノは、青色たちには忌まわしい記憶である、という行き違いが生まれる。

山手線とあけび達が主人公チームを結成するシーン
お互いにスリ合って紐でバッテンを作る名場面 根津甚八と李麗仙さん…
このシーンの前段→小林&立ちションがヤキを入れられたあと
それぞれ毒蠍に刺され、指を切断された後である。
このシーン、誰を見せるべきかというと、(ぼうっと見ている)小林である。
小林があけびの献身に惚れていくところをしっかり見せておくことが引き金になって、それで三幕行き切るので。

あけびが小林をからかいすぎてしまったので、その代わりに秘密であるあけびの右腕のアザを小林に見せてあげることになる。ここから一言ずつ二人はご機嫌になっていく。
二人で蛇姫様「ごっこ」をして遊んでいく。 蛇の鱗→冴えない、人にはあまり見せたくないもの。
白菊谷 泉鏡花の小説『由縁の女』に出てくるいい感じの谷
あけびのルーツに関わる大事な部分(母の日記、で示されるものがほんにゃかはんにゃか、となる。)

伝次や青色達がどうやらあけびの出生の秘密を知っているらしいことが示される。
薮野一家の連中もどうやら偽物たちであったことが露わになりつつある。

渡辺のジュースの素、のシーン。
追い込まれると人は幼児性に帰る。もう化けの皮が剥がれているのでシリアスにいけ!

男=小林薫 状況劇場の若手「確かに若い。」のどかな日々ではあきたらない!

釜山から日本へ密航しようとした女と少年たち あけびの出自がわかろうとしてきているが、それに対し「高貴な生まれだ」と反論したいがままならない。やけくそで武闘となる。

李東順 特に有名人ではないです

あけび 自分のルーツにショックを受けててんかんの発作が出つつある 白菊丸→船名を出したいがための白菊谷
悲惨な出自を持つあけびを、かえって持ち上げて崇拝しようとする小林
あけびは骨の髄までコンプレックスの塊だ…という台詞 あけびの出自がはっきりしたとしても、それは現実の忌まわしいものでなく、もっと幻想的なものだと持ち上げようとする

※ワラジ→頭に乗っけ、スプーンをくわえさせるととてんかんの発作が治るという民間信仰
冒頭のスリのシーンの変奏がラストへ来る。なんとかかんとか生きていこう、というエンディング。

はんにゃかほんにゃかというのは、たぶん翻訳コンニャク(ドラえもん)のことではないか。
幼き大鶴義丹さんがドラえもんを読んでいて、唐さんもそれを読んだのではないか。

【ふりかえり】

(日比野さんより)
唐十郎の作品は読んだとしても話の筋がわからない、となりがちだが、しかし今回の読み合わせを通じて話の筋がよくわかった。
「大きい兄ちゃん」とは誰だろうか?→(中野さんより)わからない。ちっちゃいにいちゃん、はいる。大きいにいちゃん米兵の死体、ではなく、伝次?の可能性もある。

(中野さん)
渡辺のジュースの素の描写が真に迫っている。それはただの幼児性だ、という台詞が『ベンガルの虎』にあったりもする。
さすらいのジェニー→人工甘味料がモチーフの話

(日置貴之さん)
お姫様のモチーフ→『桜姫東文章』玉三郎 鶴屋南北 あるいは鈴木忠志の『劇的』を観た??とか?直接的には映画の『蛇姫様』がある。
唐さんは『蛇姫様』を知らない、って言ったけど本当は知っていた?とか?

(日比野さん)
扇田昭彦さん曰く「(唐さん本人は)何も知らなかった」と。

(中野さん)
そうは言うもののカッコをつけて嘘をつくこともしばしばであり、結構唐さんは自己神格化が烈しい。
小説も『宝島』しか読んだことがなかった、ということを仰ったりもする。

唐さんが執筆された際に何に影響を受けているかを知ることは、難しさを取り払うのに大事である。
そうして整理して行って残る話が大事だから。
あまりにも難しく語られすぎる。唐さんはそんなに知的ではない(?)

例えば、
釜山から小倉 外国だとは言うもののそんなに掛かっていないはず。半日から1日くらいもの。
その時間に起こること、起こりうる事件というのを、あまり壮大すぎる時間に感じさせない、ということも大切である。
ある種のリアリティを想定できないと、人は単なる変態を演じてしまいがちになる。
とりあえず白塗りにしよう、筋骨隆々でやってみようということになると、どんどん話は不明瞭になっていく。

唐十郎作品上演のコツ

劇団唐ゼミ☆での上演では唐さんが書いた作品を伝えるということを大切にしたいと考えている。

多層的なイメージが積み重なっている唐戯曲。上演する側としての中野さんとしては、それをあえて捨てていく。
整理をしていかないと上演は難しい。選り分ける。肉と贅肉を選り分ける。
それは必ずしも話の骨格を見せるためというわけではない。
求心力と遠心力を出していく。異常に魅力のある脇のエピソードもあったりして、それも紛れもなく唐戯曲の魅力なのでそれを生かしていくことも必要となる。

両方のバランスが必要。
作り手にとってそうした重要度が整理されていないと、唐さんの作品は何が何だかわかんなくなってしまう。
『少女仮面』だって、本来は春日野八千代を騙る偽物がやっている喫茶店の話なのだが、そういう前提からきちんと理解されていなかったりする。

回収されない傍線を回収していくことが大切であったりもする。

唐十郎作品としての評価

(日比野さん)
『蛇姫様』は唐十郎中期の傑作と思われる。最後は思いつきの勢いがあったのだと想像するが、これは最後が見えていたのではないかと思わされる。

(中野さん)
これはいい作品だと思う。体感として、ハコ書きを想定したような作品は結構成功しているのではないか。
例えば『海の牙』はうまくやり仰せたけれども、1幕が長くなりすぎた形跡があったりする。
うまく行った作品は、構想がある程度できていたと思う。
『蛇姫様』にしても長すぎるきらいはあるが、それまでにうまく行った発想をパッチワークにしたような作品である印象を受ける。
李麗仙さんが在日であることを扱ったモチーフとして『二都物語』『海の牙』などがあるが、『蛇姫様』もまた、李さんを強く押し出す作品としての筆致がある。

そしてお互いの励まし合い方は『風の又三郎』の援用だろう。
10周年ということでもりもりに盛り込みすぎ、華々しく行きたかった気持ちもまたわかる。
大久保さんが前年に辞めていたりして、それは唐さんにとって大きな痛手だったと思われる。
大久保鷹なしという状況下で、若手の小林薫を立てて、悪役も際立たせてうまく対応した。

中村勘九郎ー太地喜和子さんが状況劇場のこの作品を観て影響を受けた。
『法界坊』?両面、のモチーフ

唐さんは春公演の台本は年末に書いていることが多い。年末に書いて渡さないと、帰省したまま劇団員が帰ってこなくなるから、ということらしい。

劇団的に戦力も落ち、公演を重ねる中で目新しさも乏しくなってきていた中で、なんとか唐さんが70年代にピークを維持した作品ではないかと思う。

(日比野さんより)
黒あけびが、なぜ偽物なのだろうか。 白菊谷に咲いている黒あけび。

(中野さん)
唐さん的にコンセプトを仮に立てて、それが偽物である意味ということを考えてみる。 
ある意味ではアザは消す必要がない、あるいはアザを落とすことが必要でなくなる、偽物であって良い、あるがままで良いではないか。
というメッセージ?

黒あけび→劇中の文脈では姫のアザを消すために登場するのだが、小林はそれが「龍の鱗」だというところまで持っていく。 
仮説、物語なんてなくてもいい 
白菊谷へ、二人で冒険していくプロセスが大切なのだという、ロマンチックな台詞の交わしあいなのでは?
二人でずっとデートしていたい、的な。
男が弱気で、女がそうではない、というパターンでもある。
二人で目指す目標があり、男が姫をどこまでもロマンチックに持ち上げているのが素朴に嬉しいのではないか。

(以上)

【唐戯曲を読む!次回、最終回 『秘密の花園』】

唐戯曲を読む!第7回
『秘密の花園』(ナビゲーター:日比野啓[演劇研究者、成蹊大学教授])
5月23日 19:30-21:30(19:00より入室が可能になります。回によって22時ごろまで延長することもあります)
お申し込みはこちらから。https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/01jh7411cfmu5.html


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