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賑わう街の記憶——鉄道の開通とノンフィルム資料から見る米子の映画館③

2023年8月1日(火)~8月30日(水)にかけて、米子市立図書館にて開催した展覧会見る場所を見る2+の「賑わう街の記憶——鉄道の開通とノンフィルム資料から見る米子の映画館」の解説文(会場にて希望者に限定配布)を掲載します。

前回(第2回)の記事は以下のリンクからお読みください。

8月11日(金・祝)には、会場の米子市立図書館でギャラリートークを実施しました。本展出品作家のClaraさんと、米子シネマクラブの会長として米子・境港の映画文化の発展に尽力してきた吉田明広さんに、展覧会の感想や鳥取での映画の思い出についてお話を伺いました。当日のレポートも記録していただいておりますので、こちらも併せてご覧ください!


リツリン映劇×映画館プログラム

◉映画館プログラムとは?
 「各映画館で上映される作品は基本的に毎週入れ替わっていたため、各館は毎週変更される上映作品を周知することが求められるが、その際に用いられた広告メディアの一つ」

近藤和都『映画館と観客のメディア論』青弓社、2020年、p.20

1957(昭和32)年4月、角盤町3丁目にリツリン映劇が開館しました。米子館を経営する栗林組が新築した洋画専門館です。これで市内の映画館は7館となり、米子における映画興行の最盛期となりました。設備の新しいリツリン映劇は、完備された冷暖房座り心地の良い椅子によって快適に映画が楽しめると好評だったようで、洋画館経営は難しいのではないかと噂されていた中でも順調に興行を続けました。

1960年代中頃、同館の栗林専務は「将来の見通しはつかないが、客の好みを考えて作品を選ぶと同時に、映画芸術を理解させるような番組み構成を考えたい」(『日本海新聞』1964年5月23日付)と語っており、実際に映画の魅力をアピールする方法のひとつとして行っていたのが、映画館プログラムの発行でした。『リツリンニュース』と題した映画館プログラムは、B5折込のコンパクトなサイズで、本調査研究の中でNo.7、No.9、No.10、No.24を入手することができました。掲載内容は、映画作品のあらすじを記した梗概批評近日中に上映される作品の案内で統一されています。紙面の下部には喫茶店や酒屋、美容室など米子市内で営業をしていた店舗名が広告として掲載されており、街ぐるみで映画を楽しんでもらおうと働きかけていたのではないでしょうか。

一枚刷りのリーフレット形式。右側下部には当時の米子市内で営業する店舗名も記載。
『リツリンニュース』No.31より
映画館プログラムは「梗概」(あらすじ)の掲載が特徴。
『リツリンニュース』No.9より

交通手段の変化と「見る場所」の多様化

長らく映画は大衆娯楽の中心でしたが、1964(昭和39)年の東京オリンピック開催を契機に普及を進めたテレビによって映画人口は減少。米子駅や後藤駅周辺の回遊性を活かして経営を図っていた米子の映画館も、斜陽産業に転じた映画界の状況とモータリゼーションの進展によって集客力を大きく失い、続々と閉館していきます。特に駐車場の有無映画館の経営に大きな影響を与えました。2005(平成17)年8月21日付の『日本海新聞』には、米子大丸高島屋といった大型商業施設が建設されたことで「人手がこれら大型店に吸い上げられたことと、車社会の発達で鉄道の利用者が減少し、駅から商店街への人の流れがなくなった」と指摘されています。戦後に誕生したリツリン映劇も、経営悪化を理由にして1981(昭和56)年の8月を最後に閉館しました。

1990(平成2)年になると、米子駅前の大型店に「米子サティ東宝1•2•3」がオープンします。これは県内初のシネコン方式映画館であり、商業施設の相乗効果大規模な無料駐車場によって多くの観客を集めました。同館は幾度か名称を変えた後、2012(平成24)年に閉館。現在、米子市内に映画館は残っていませんが、1999(平成11)年に西伯郡日吉津村日吉津町にオープンしたMOVIX日吉津が、現在も営業を続けています。

MOVIX日吉津
『映画愛の現在 第3部/星を蒐める』(2020)より

また、米子で行われてきた自主上映活動公共上映活動にも注目するべきでしょう。古くは1951(昭和26)年に誕生した鳥取大学医学部の映画研究会が、「映画とは何ぞや?」という問いを掲げながら、「鳥大映研第1回自主上映『砂の女』」や「黒澤明特集」といった自主上映や鑑賞の機会を設けていました。さらに1958(昭和33)年には、映画鑑賞による高校生の自主的な人格形成を目的として、米子にある4つの高校と6館の映画館によって米子学生映画連盟が組織されました。米子市立図書館に同連盟の機関誌第1号が所蔵されており、高校生による映画の紹介文や感想文を読むことができます。

現在でも、会員制の映画鑑賞会を隔月で開催している米子シネマクラブ米子映画事変などのイベントを企画する米子ガイナックス、自主制作した映像作品を中海テレビの市民チャンネルなどで発信している米子映像、地域の映像文化の信仰と発展に貢献することを目的にして映像作家の交流を図るよなご映像フェスティバルなど、映画館に頼らずに「見る場所」を自力で作り出すことが様々な団体によって行われています。

映画を見るための交通手段が徒歩や鉄道から車へ変わっても、映画を日々の娯楽として楽しむ人々の姿は、いつまでも変わりません。この土地の娯楽や文化の形成を担う映画を「見る場所」は、これからも街の賑わいを創出する役割を果たしていくことでしょう。

「見る場所を見る2+」展示会場

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映画館の思い出

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