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皆既月食の影響

今日は何をしたんだか。読書もエレクトーンも仕事も確か少しずつ。昨夜の皆既月食の影響は残った。

現象としての月食とは別な、昨夜の影響。

昨夜は不思議な写真が撮れたな、と夜になって思った。子どもに借りた小さな望遠鏡の中を、いつもの小さなカメラでたくさん撮った写真。今日の午前中も少しは思ったことだが、この写真は何だろうという不思議な気分。

昨夜、撮り始めたきっかけは、ろくにピントも合わさず、うっかり押したシャッターボタンだった。何だかよくわからないまま、ピンボケで良ければ撮れるらしいと、望遠鏡の接眼レンズから5cmくらい離れた辺りに構え撮っていた。

が、それはどこにピントを合わせていたのだろうと思った。
かなりのピンボケのつもりだったが、そこそこピントの合った写真も紛れていた。

通常、望遠鏡にカメラをセットする場合は接眼レンズを使わない。が、外せない接眼レンズがあり、カメラも固定していなかった。

接眼レンズの表面に写る月なのか。…そんなところに結像するのか。
月が見えているとは言っても、さすがに何もない空中にピントは合わないだろう。

望遠鏡側のピント合わせは、視力や癖も関係あるだろうが、接眼レンズから目の距離でも全く違う。カメラのピントは合わないだろう何もない空中にも、月の画像は連続的にあることを感じる。というより、目も視認するだけではなく、ピント合わせに必要な道具。

接眼レンズ表面に、しっかりとピントが合っていることが必要だったのか?と思ったが、撮っているときには、望遠鏡の鏡筒内に浮かぶ月にピント合わせしているような気分だった。

が、そんなところにピントは合うのだろうか。そもそも鏡筒内は、画像として生成する途中の場所。対物レンズから接眼レンズまでに画像は180°回転する。

月から対物レンズまでは、肉眼で見えている月の画像がある。
接眼レンズから自分の目かカメラのレンズまでは、回転した月の画像がある。

そんなことを思いながら、少し調べると実像と虚像という言葉が出てきた。

実像は、鏡筒の中、接眼レンズに近い場所にできる180°回転した像。
望遠鏡を目で覗いて見えるのは、その実像より向こう側に見える、180°回転のまま拡大された虚像。

そのまま撮るより明らかに大きく写ったので、昨夜、撮れたのは虚像だろう。しかも鏡筒内で像を結ぶというのだから、接眼レンズ表面は関係なく、筒の中にピント合わせしていた気分は間違っていなそうだった。

どこを読み間違えたのか、カメラに写らない虚像!?と、更に訳がわからなくなり寝そうになった。

が、虫眼鏡で拡大された虚像と同じということなので、撮れるものではあるらしい。ミュージアムなどでも、虫眼鏡と共に設置されている展示物もあったりするうえ、その虫眼鏡の中の像は撮れる。

ということは、接眼レンズから、カメラを構えた5cmくらい離れたところでピントが合うように、望遠鏡のピント合わせをするべきだったということか。

それはそれとして、カメラと目は同じではなさそうだが。接眼レンズから5cmは離れ過ぎているような気もする。

昨夜は、どこでピントが合うのだろうと、いろいろと望遠鏡側のピントを変えてみてはいたが、改めて考えてもわからない。次回があるなら、夫に教わることにすれば良いだろう。

夫が虫眼鏡の中の像をシャープに撮っているのを見たことはある。仲間内ではバズーカと呼ばれていた、大きな望遠鏡を自作した人でもある。昨夜、夫が使っていたものより、はるかに大きい。

焦点距離というものをわかってないとか言われそうだ。というより、過去にもそんな話を聞いた気もする。

やはり寝た方が良さそうだ。

写しにくい宙に浮いたオバケを撮っているような気分も昨夜はあったのだが、虚像ならそれに近いものということだろうか。

で、オバケは虚像なのか……?

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