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長い旅   僕とママの400日戦記

僕はちゃーちゃんって呼ばれている。ちゃーちゃん、ちゃーちゃん!
ママの声がする。もう、僕はまだ眠いのに。ちゃーちゃんってママが僕を呼んでいる。僕はちゃんとお返事しているのにママには猫語がわからないのだな。

僕は2才半の猫。毎日ママと一緒に過ごしている。夜はママの隣でママのおっぱいをふみふみしながら一緒に眠るんだ。
ママとりゅーすと3人で眠る。

僕は去年の夏の終わりにママと一緒に今のおうちに来た。以前はマンション暮らしで、ママの他にパパって人がいた。僕はパパよりママが好きだった。ママのいない昼間はりりこおねえちゃんと日向ぼっこをするのが大好きだった。
りりこおねえちゃんは気難しい猫で青いおめめをしていた。僕は仲良くしたくて近づいては 「しゃー!」 ってよく怒られたけどお行儀の良いりりこおねえちゃんをお手本にして仲良しになるんだって思ったんだよ。だってママ、すぐに 「りりこ、りりこやーい」って言いながらニコニコしているからおねえちゃんの真似をしていれば間違いないやって、ね。

僕は赤ちゃんの頃、生まれたおうちには長くはいられなかった。僕には妹がふたりいたらしい。僕は気がついたら透明な箱に入れられていて、いろんな人が僕を見てわぁわぁ騒いでいた。毎日毎日ゆっくりお昼寝もできないし、生まれたおうちに帰りたいなってしょんぼりしていた。

そんな毎日が過ぎていったんだ。そしてある日のこと。僕はママに出会ったんだ。
ママは透明な箱の中の僕をじいっと見ていた。僕は 「出して!ここから出して!」 と透明な箱の中からママに声をかけたんだ。お昼寝している場合じゃない、この人なら僕をここから出してくれるかもしれないって思ったんだ。手のひらを透明な箱にピタッと張り付けてママに向かって「にゃあ!」と声をかけてみた。
しばらくして僕はエプロンをかけた女の人から透明な箱から出してもらった。そしたらいきなり、入ったことないお湯の中に入れられた。初めてお風呂に入ったんだ。

嫌だ!やめて!なにするのぉ!

パチンパチンと爪を切られてお尻には嫌な匂いの水をしゅーってされた。
   
僕はどうなるの?  
 
泣いていたらエプロンの女の人に抱えられて初めて見る場所に連れていかれた。そこには笑顔のママがいたんだ。

ママは僕をそっと抱っこしてキャリーバスケットっていうかごに入れた。
「ね、ちゃーちゃん、おうちに帰ろか」
??ちゃーちゃんって誰?僕のことかな?って思いながら小さな僕はとても心細くなってしまったんだ。 「にゃあ、にゃあ」 って泣いたよ。

お外を知らなかった僕は車に乗せられてママに連れられ、そしてママの暮らすマンションに着いた。ママはずっとキャリーバスケットに手を入れて僕を撫でていた。ちゃーちゃん、ちゃーちゃんって言いながら。


 「りりこ、弟だよ。仲良くね」
そこには青い大きなおめめの猫がいたんだ。初めて見る大人猫のりりこおねえちゃんからは、 つーん!って無視されたけど、透明な箱から出してもらって僕に初めてのお友達ができるんだって嬉しくてりりこおねえちゃんの後をついて歩いたよ。


「一緒に仲良くねんねだよ」ってママは僕をお布団の上にのせてくれた。ママが教えてくれたよ。りりこおねえちゃんにはおにいちゃんがいたんだって。おにいちゃん猫の名前もちゃーちゃんだったから僕は二代目ちゃーちゃんなんだってママが言っていたな。僕と同じ茶トラだったんだって。



夜、ねんねの時りりこおねえちゃんはママの足元に丸くなってしまうんだ。僕は初めてママと眠る時にママの横でクンクン匂いを嗅いでいたんだ。なんとなくすっごく近くにいたくなってしまってね。ママの顔によじ登って眠ってしまったんだ。夜中にママから「息ができないわ」って枕の横に移されたけど、僕は毎日ママの顔の上で寝ることにしたんだ。

ママはよくおめめからお水をこぼすんだなって思った。決まって壁の方を向いて。僕は大きくなってママの顔からはみ出すようになってママの顔で寝るのはあきらめた。ママのおめめから流れるお水はしょっぱい味がした。涙っていうんだな。

ママはこのふかふかしたクッションに座っていた。
そしてなぜ、ママのおめめから涙が溢れているのか?小さな僕にもなんとなくわかるような気がしたんだ。パパはよく大きな声でママを怒鳴っていたから。

ママが泣いてる。・・・涙が来た!涙から僕がママを守ってあげるんだ!って誓ったんだ。決めたんだよ。だって、僕は男なんだからね。僕は強くなりたかった。
僕はようやくマンションに慣れて、ベランダで遊んで日向ぼっことパトロール。朝早くには毎日窓から外を眺めて車がたくさん走っているのを見る。それが僕のお仕事になった。

僕はどんどん大きくなった。そしてりりこおねえちゃんがようやく僕を認めてくれたんだよ。嬉しかったな・・・。一緒にお日さまを浴びてベランダで洗濯物を干すママとりりこおねえちゃんと僕の時間。


昼間、パパがいないときママはよくモップっていう棒を持ってお歌を歌っていた。僕まで楽しくなっちゃってよく跳び跳ねたよ。
ママがお歌を歌っている時はママは泣いていなかったから僕らは楽しかったんだ。

そんな楽しい毎日は長くは続かなかったんだな。・・りりこおねえちゃんは病気にかかってしまった。ガンだって言っていた。痛いらしくておねえちゃんはつらそうだった。りりこおねえちゃんと僕は一緒に病院に行くことも多かった。ママのおめめから流れる涙を毎日僕は見ていたんだ。痛そうな注射をしていたりりこおねえちゃん。ママは毎日りりこおねえちゃんのお口に丸いお薬やなんだかわからない色のついたお水を飲ませていた。
 ママ、ママ、泣かないで、ね。  りりこおねえちゃんはママのおててをペロペロ舐めていた。りりこおねえちゃんはいつもと変わらない顔をしていて にぁ・・ってママのそばにいた。


大きくて強かったりりこおねえちゃんの体はどんどん小さく小さくなっていった。ある日りりこおねえちゃんは病院にお泊まりして帰ってきた。黄色い服を着てずっと横になっていた。りりこおねえちゃんの体からは嗅いだことのない臭いがした。ママはりりこおねえちゃんに 「痛いね、痛いね、頑張ったね」 と声をかけて背中をさすっていた。僕もママに甘えたかったけど、僕がママとおねえちゃんを守らなきゃいけないって我慢したんだ。だって僕は男なんだからね。涙から僕がママを守らなきゃいけないんだから。


りりこおねえちゃんは小さくなってもやっぱりいつもおすまししていてママがマンションに帰ってきたら必ずお出迎えするから僕も一緒にお出迎えをすることにした。だってママの喜ぶ顔が見たかったからだよ。僕らがお出迎えしたらママ、すっごく喜んで笑っていたからね。 ちゃー、エレベーターの音がしたらママが帰ってきたんだよ!
 ってりりこおねえちゃんが言っていたな。
毎日寒くなっていく。僕はりりこおねえちゃんがいなくなってしまうなんてその時はまだ思わなかったんだ。りりこおねえちゃんがベッドにジャンプして 「にぎゃあ!」 って落ちた時、ママはお部屋の中に毛布を敷いてりりこおねえちゃんを抱っこしてベッドに乗せるようになった。僕はさ、もっともっと強くならなきゃ、って思ったんだ。

パパは他のお部屋で寝ていた。どうしてなのか、なぜなのか?
それはママは教えてはくれなかったけどね。僕はそのお部屋もパトロールしていたけどママが一人きりで涙に負けないないように僕は一生懸命だったんだ。ママは以前よりおめめから涙を流すようになってしまったし、毎日毎日寒い日が続いた。
僕はりりこおねえちゃんがしていることをよく見ていたし、誰かが玄関に来たら僕はママより先にドアに走っていった。
誰かな?ママは僕らのママなんだよ?ってね。

僕らのゴハンはカリカリ。カリカリゴハン。りりこおねえちゃんが病気してからいろんなご馳走が出てくるようになった。おねえちゃんが食べなかったら僕が食べるからいろんなご馳走を食べたな。ママはとても悲しそうで疲れていたけど僕はご馳走が嬉しかった。ちゅーるもスープもとても美味しくて、そのあとのママと僕らがどうなっちゃうのかなんて考えていなかったんだ。

ある日、りりこおねえちゃんが小さな小さな息しかできなくなった。ママは泣いてる。僕はどうしたらいいのかわからなくなってすごく困ってしまったんだ。僕がママを涙から守るってきめていたのに。

りりこおねえちゃんが言った。

  ・・・ちゃー、いいですか。ママを頼むわよ。 

僕が来てから冬が来て、春が来た。そして夏が来ておねえちゃんのガンが見つかった。永いことおねえちゃんは痛いのを我慢してきたんだ。
りりこおねえちゃんは僕を見て静かに箱に入ってこっちを見ている。いつもはカウンターの下のバスケットがお気に入りなのに。
ママは泣きながら毎日りりこおねえちゃんの写真を撮っていた。スマホ?っていうのかな。お話ししたりママが使う小さな板で。その日もママはおねえちゃんの写真を撮っていたし、ママとおねえちゃんは病院に行ったことを覚えている。ママは大きな声で泣いていたけど僕はどうしてあげたらいいのかわからなかったよ。

真夜中にりりこおねえちゃんが箱から出てリビングに歩いていった。ママは起きていたし、僕はすごく心配した。そして、 静かにしていなきゃ ってじっとベッドにいたんだ。

その少し前からママはキッチンに座り込んで寂しそうなお歌を歌うようになっていたしぼんやりと天井を見ていることが多くなってしまったんだ。以前のママはよくモップを持って楽しいお歌を歌っていたのに。僕はママと跳び跳ねていたのに。ねぇ、ママ、ママ?ママは僕の言葉がわからない。僕はいつもママに話しかけていたのに。

明け方、りりこおねえちゃんが小さな小さな声でママを呼んだ。そしてそれが僕の聞いたおねえちゃんの最期の にぁ だった。

・・・ちゃー、いいですか。ママを頼むわよ。

ママ、ママ泣かないで!僕がいるよ!僕がついてる!

お葬式はママがひとりだけで僕はお留守番だった。りりこおねえちゃんは小さな青い袋に入ってお部屋に帰ってきた。泣きながらママは言った。 

 ちゃーちゃん、ママとずっと一緒にいて、一緒にいてよね?って。

わかった!僕がいるからね!

ママにそれが伝わったかな、って思った。
僕がしっかりしなくちゃ・・・・。

ママは泣きながら荷物をまとめた。あれ?ママ?どうしたの?
僕は毎日悩んだ。ママは荷物をまとめたりほどいたりの毎日だったし、僕がいるのにどうして、って途方に暮れちゃったんだ。
ママ、ママ、どうしたの? やっぱり猫の言葉はママにはわからない。 
春、ママが何日も帰って来ない日があった。苦しい顔をしながら病院の消毒の臭いをさせてママはようやく帰ってきたんだ。どこに行っていたの?僕がいるのにどうして?

それからすぐだ。ある日ママは急に留守がちになった。忙しそうなママ。ぶつぶつ言いながらご本やスマホに向かい、大きな荷物を下げてお仕事に行く。大きなカバンの中に化粧品やブラシをを詰めて出ていく。パパはママと話をしなくなって無理矢理にドアを締めてママの指をケガさせてしまったんだ。
ママは再び荷物をまとめたり、お洋服の整理を始めておうちの中のものがどんどんなくなっていった。

 ちゃーちゃん、ママとずっと一緒にいてよね?一緒に行くのよ。

ママのご本がなくなっていく。リビングの本棚は空っぽになっていった。たくさんあったCDもない。
 僕はどうなるんだろう・・どこに行くんだろう。

猫だって不安になるんだ。ママ?どうしたの?って何回もきいてみたけどママは難しい顔をして僕の言ってることがわからない。どうして僕は人間の言葉が話せないんだろう。猫だってお話しをするのに・・・。ママはコツコツ片付けてばかりで以前みたいにモップを持って歌うこともなくなった。僕のお誕生日もママはお仕事に出掛けた。

僕は怒っていた。
ママをいじめるな!僕のママだぞ。
パパのお布団にうんちをした。僕のささやかな怒りを伝えるにはこうする他にはなかったんだ。僕はよくわからなかったけど、報復したいって思ったんだ。ママはさっさと片付けてしまったけど。猫は猫なりに怒っていたんだ。

僕はりりこおねえちゃんがとても偉大な存在だったんだ!ってあらためて思ったよ。
それからしばらくして僕はベッドにお布団がなくなってしまったのに気がついた。なんにもないお部屋でママと僕は横になっていたんだ。

ちゃーちゃん、おかあさんに会えるかな?

ママはそう言った。
??おかあさん?どこだろう。
僕のおかあさん?ママじゃないの?

ママは毎日遅くまでスマホを握りながらなにかをぶつぶつ言いながら部屋の整理をしていた日が続いていたから僕は怖くて仕方なかったんだ。

僕の本音は  置いていかないで!だった。
初めて見た赤い大きなカバン。スーツケースっていうらしいけど。ママはその中に少しだけの荷物を詰めてから朝早くに僕を撫でてからベランダに出て、それから僕をキャリーバスケットに入れた。

覚悟を決めたはずなんだ。僕はママと一緒だってね。でもやっぱり怖かったんだよ。
僕は知らない車で聞いたことのない音のするところに行ったんだ。
いつものキャリーバスケットから知らないにおいがする箱に入れられて。

ちゃーちゃん、待ってて。ね、ママいるから、ね。

どれくらいの時間が過ぎたんだろう。僕は怖くて怖くてたまらなかった。
キーン、って音がする。ママのにおいも気配もない。
どこ?ママ?どこ?暑いよ・・。
暗い狭い中で僕はママを待っていた。そして明るくなってようやくママの声がしたんだ。

ちゃーちゃん、はねだだよ?
??はねだってなに?おうちはどこだろう。

僕はママといれば大丈夫なんだ、りりこおねえちゃんと約束したじゃないか・・。

長い長い移動のあとまたバスの中だった。おうちを出た時はまだ朝だったのに真夜中だ。ついた先は知らないお部屋ですごくおめめが痛くてたまらなかった。僕は初めて涙に負けちゃったみたいだ。ママは取り乱していたし僕は苦しくてママのスカートの中に隠れてしまった。
息ができない、りりこおねえちゃん!

 ちゃー、しっかりしなさい!

りりこおねえちゃんの声がしたような気がしたんだ。

そうだ、僕は男なんだからしっかりママを守らなきゃいけないんだ。

ママは誰かと話していて泣いていた。
僕は黙ってママの声を聞いていたんだ。

僕はママのスカートからキャリーバスケットに戻り息をひそめた。

ガタンガタンと音がする。

・・・道を開けてくださーい!道を開けて!道を開けて!車イスが通ります!!

ママの膝の上に僕の入ったキャリーバスケットが乗っている。
ガタンガタン!ガタンガタン!シューガタンガタン!    
揺れる。ママ!僕がいるよ!大丈夫だからね、と、ママがくれたちゅーるをなめて。そして僕はぐったりしてしまったんだ。一晩中キャリーバスケットの中にいてすっかり疲れちゃったんだ。

あれ?ここはどこだろう。
聞いたことある声がする。知っているにおいがする。あれ?

先生!ちゃーちゃんを、ちゃーちゃんを!

 ・・・ちゃー、いいですか。ママを頼むわよ。

僕の中でママとりりこおねえちゃんの声がぐるぐるになってしまった。

それから僕は久しぶりにゆっくり眠った気がしたよ。

起きあがって僕はママのお膝を見た。ママのお膝は真っ青と真っ赤になっていた。

ここはおうち?違う。あれ?

・・・。あれからどのくらいの時間が過ぎたんだろうかな、って不思議だ。
窓からの眺めはマンションの窓から見ていた景色とは違う。でもママがいる。
あのときはとっても暑くてさみしくて僕は涙に負けそうになっちゃったけどね。
すっかり寒くなっちゃったよ。

僕はね、ママが一緒なんだ。
ママが 僕のおうち なんだって思うんだよ。

りゅーすはママと仲良しだから僕の仲間なのかもな。
いつかりゅーすと男同士でお話ししようって思うんだよ。

僕は長い旅をしてここに着いたんだ。まるで戦争だったってママは言う。

そう、僕はちゃーちゃんだ。二代目茶トラのちゃーちゃんだ。
僕は強いぞ。
なんてったって僕は誇り高きりりこおねえちゃんの弟猫なんだからな!
     負けてたまるか!!

     ちゃーすけ。

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