鉄砲洲稲荷神社1

鉄砲洲稲荷神社【東京・中央区】

この写真は鉄砲洲稲荷神社(てっぽうずいなりじんじゃ)近くを流れる亀島川付近です。20.315は大阪、名古屋に住んでいたこともあるので、平野の港あたりはやっぱり風景が似ているなあと思います。

高潮が発生すると川が逆流して氾濫し洪水を引き起こすことがあり、それを防ぐため2つの水門が設けられています。総延長約1㎞と短い川ですが、川の起点と河口に日本橋水門と亀島川水門があり、氾濫のリスクが高まった際にはこの2つの水門を閉じて、洪水を防いでいるわけです。このような地形も、海抜0メートル地帯が多い大阪や名古屋の港と同じ感じです。

さて、鉄砲洲稲荷神社ですが、その歴史は平安時代まで遡ります。
元々は荏原郡桜田郷の住民たちが凶作に苦しんでいたころ、その土地の神様として生成太神(いなりのおおかみ)を祀ったことから始まったとされています。「桜田郷」は現在の千代田区なので、移設されてきたことがわかります。鎌倉~江戸期にかけて関東の人口集中に伴い、何度も引っ越しを繰り返し、現在の中央区湊エリアに落ち着きました。

湊エリアは江戸期には海上輸送の拠点となって、全国から物資が集積したため、大いに神社発展に寄与したのでしょう。

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ところで「鉄砲洲」とは、何に由来したものでしょうか?
HPによると、徳川家康が江戸開府した時、大筒(大砲)の練習場が置かれたからということです。だったら「大筒洲」にすればいいんじゃないか、と思いますが「おおづつす」じゃ言いにくいので「てっぽうず」にしたのでしょう。多分。洲(す)は川に囲まれた土地という意味なので、湊エリアはまさに洲で間違いありません。

生成太神(いなりのおおかみ)を祀ったとHPにあるんですが、これが日本神話のどの神様にあたるのか不明です。でも、いなり=稲荷だったら話は簡単。「いなり」を生成という漢字に当てたのではないか、という推測です。稲荷信仰であれば、宇迦之御魂神(うかのみたま)ですからね。

【基礎データ】
■創建 承和8年(西暦841年) 平安時代
■祭神 稚産霊神(わくむすび)、豊受姫大神(とようけびめ)、宇迦之御魂大神(うかのみたま)
■住所 東京都中央区湊1-6-7
■HP 鉄砲洲稲荷神社

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