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テレビの情報を鵜呑みにして暴言や誹謗中傷をする人の思考を考える

5月23日(土)に木村花さんの訃報が伝えられました。ネットでの誹謗中傷が原因で亡くなられたとの見方が強く、この日はTwitter上でも多くの人が誹謗中傷について発信していました。

木村花さんついては、私は存じ上げませんでしたが、こんなにも若い方が亡くなられたことは大変残念です。お悔やみ申し上げます。お母さんや周囲の方のショックや怒り、悔しさ、悲しさなどは計り知れないですが、どうぞご自愛ください。

そして1日経過した24日には、かつてテレビや映画で見た悪いイメージの有名人が、一般人からの嫌がらせなどを受けていたであろうという内容のツイートを私のTLでも見かけるようになりました。

リアリティショーだけでなくワイドショーやバラエティなどの「ショー」、もっといえばドラマや音楽、舞台、スポーツなども含めたエンターテインメント全般の中で演じられていたり、繰り広げられている内容を真に受けて、嫌がらせや脅迫などをするという事件は昔からありましたが、こうしたツイートを見ていて私はふと思うことがありました。

そういえば、うちの父親もテレビに向かって真剣に文句を言ったり、罵声を浴びせたりしていたな……と。

もちろん私の父親が有名人に対して嫌がらせの行為をしていたとか、テレビ局にクレームの電話をしていたなどという話ではありません。

テレビを見ていて、あまりにも真に受けている、鵜呑みにしていると感じてしまう言動があったなというお話です。

たとえば、野球を見ていて応援しているチームが負けたり選手がミスをしたりすると、「なにやってねん!」「そんな振り方で打てるか!」「万年ドベじゃ!」「今のはセーフに決まってるやないか!なんやこの審判は!」「もう知らんわ!」などと真剣に怒っているのです。

その様子はとても応援しているように思えないですし、私は素人がプロにダメ出しや暴言を吐くこと自体が理解できないです。

クイズ番組を見ていてもそうです。あたかも自分に出題されているかのように真剣に答えるだけでなく、たとえばお笑いタレントやおバカキャラポジのタレントの珍回答に「そんなわけあるかい!」「なにを言うてんねんコイツわー…」「アホとちゃうんか!」「全然違う!そんな答え間違い!」などど真剣に文句を言っているのです。

音楽番組を見ていてもそうです。「こいつらの歌はなにをいうてんのかさっぱり分からん」「なんでこんなやつが売れてんねん!」「やっぱオレは〇〇(好きな演歌歌手)が好きやなぁ…」など、家族の誰も聞いていないのにひとりでテレビに向かって真剣に言っているのです。

そんな父親の様子を見ながら、なぜ父親は今テレビで見たこと、聞いたことをそのまんま受け取り、文句を通り越した暴言を吐くのだろう?と不思議に思っていました。

今回、少し調べてみたら興味深い記事がヒットしました。泣く子も黙るあのMentalist DaiGoさんのオフィシャルブログです。

https://daigoblog.jp/curse-fakenews/

このエントリーによると、テレビや週刊誌、新聞などのメディアが発信する内容を鵜呑みにする人は知能が低いらしいです。

なんだか私の父親をバッサリとdisられた気がして複雑な心境になりましたが、書いてある内容については納得しました。

平たくいうと「考えていない」ってことなんですね。

見方を変えると信じやすい性格という風にも見えますが、信じているのではなく、考えていないんですね。ここは大きく異なります。信じるというのは考えた上で成立するものであって、なにも考えてないというのは信じる以前の問題です。

なので、信じやすい人は詐欺に遭いやすい、いや、あながち騙されにくいとかって話はよく聞くかと思いますが、恐らく本当に騙されてしまう人は信じる信じない以前に「なにも考えていない」と思うんですよね。

つまり、思考停止状態です。

そう解釈すると色んなことがつじつまが合うように思います。

考えていないから見たもの聞いたものを鵜呑みにする、考えていないから相手や周囲なんかお構いなしに文句や暴言が吐ける、ということでしょう。

なにを言うか考えているとか、文字を打つために文章を考えているとか、そういうことではありません。相手がどう思うか、相手や周囲にどういう影響をもたらすのか、そういうことを考えていないということです。

でも、単純に知能が低いといってもそれを測る術や、基準がよく分かりません。

たとえば、あなたは〇〇という病気なので、一般的な人に比べて〇〇%程度知能が低いです、などとお医者さんに言われたりすれば分かりますが、普段生活をしていて自分や他人の知能を意識することってあまりないです。

そこで、私なりにもう少し考えてみました。ここからは私の持論になりますが、
・演者的思考(演者脳)
・観客的思考(観客脳)
に分類してみました。

このふたつの思考について書いてみますが、実際の演者や観客の思考を定義するものではないです。あくまでこういう考え方をする人というのを分かりやすくするために演者的思考と観客的思考に分類してみました。

【演者的思考】
・発信者側の思考
・演者や制作側の目線になろうとする
・そこに至るまでの背景や制作の裏側を自分なりに考える

テレビ番組はもちろん、舞台、スポーツ、音楽などのエンターテインメントは、ほとんど完成された状態で視聴者やファンに届けられます。

たとえば、音楽CDを買ったとしましょう。楽曲が聴くことがです。そこに至るまでには、楽曲を制作する企画が立ち、楽曲の制作、レコーディング、編集、ジャケット制作、プロモーション、生産、流通、販売などの工程を経てパッケージ化された商品として個人の手元に届きます。

私は音楽CDを作ったことはありませんので、たくさん重要な工程を飛ばしているかもしれません。しかし、まったく関わったことがなくても、恐らくこういう工程があるんだろうなぁという想像はできます。

レコーディングといっても、アーティストが家で録音しているワケではありません。スタジオを借り、収録や編集などをするためにたくさんの人が関わります。

生産しているのも家で1枚1枚CDに焼いているワケではありません。工場で作られています。少し調べたら記事も出てきます。

https://www.shakaika.jp/blog/16398/sonydadcjapan-jared/

流通もそうです。倉庫や配送などに関わる人の手を経て、販売店や個人宅に届けられます。販売店も全国にありますし、アーティストによっては海外での販売もあります。ショップの人の手が関わって売られています。

そうして販売するCDをたくさんの人に買ってもらうために、アーティストがイベントをしたり、ライブやテレビ、ラジオなどに出演したり、雑誌の取材を受けたり、テレビCMをはじめ、ネットのCM、紙媒体、街や駅に広告を出したりします。それぞれに関係する人の手がかかっています。

そして、話題になり、ファンが増え、楽曲もヒットし、人気になることで、メディアへの露出も増え、さらに次の楽曲制作、アルバム制作、ツアーが組まれるなどといったサイクルができ上がっていきます。ざっくりですが、大きくは間違っていないと思いますw

演者的思考とは、そういうイメージができるかどうかだと思います。

知っている知らない、教えられた教えられていない、というのも影響はあるでしょうが、それとは別でそういう観点で物ごとを見れるかどうかということです。

見たまま聞いたままではなく、バックボーンをイメージすることによって、心理的な見方もできますし、考察や時には穿(うが)った見方もできます。少なくとも見たことや聞いたことをきっかけに色々と考えたり調べたりするのが演者的思考です。


【観客的思考】
・受け手側の思考
・見聞きした情報を鵜呑みにする
・背景や過程よりも自分が見聞きした情報がすべて

これも観客がすべてそうという定義ではありません。観客の中にも演者的思考はいますし、逆に演者側にも観客的思考の人はいると思います。

それを踏まえた上で、私の考える観客的思考の人は、見聞きしたものを鵜呑みにしてしまうため、一歩引いて見てみる、冷静に考えてみる、客観視するということができずに、素直に喜怒哀楽を表現してしまいます。

真剣に文句を言ったりブチギレたりもそうですが、そんなにおもしろい?っていうところでも爆笑してしまう傾向もあるかもしれません。

そのため、演者的思考の人と観客的思考の人は笑うポイントが異なると思います。

ダジャレで笑う人は観客的思考の人が多いように思います。

たとえば「布団が吹っ飛んだ」と聞くと、演者的思考では、布団が吹っ飛ぶことがおもしろいかどうか考えてしまいますし、実際に布団が吹っ飛んでいる状況を見ることは人生の中でそうそうないので、信ぴょう性にも欠け、おもしろくないと感じてしまいます。

でも観客的思考では、言葉の響きや語呂合わせで笑ってしまっているかもしれません。ひょっとしたら、ダジャレを言っている人の言い方や見た目がおもしろくて笑っている場合もあるでしょう。見たまま聞いたままを純粋に楽しんでいるので、そう考えればとても幸せです。

ぶっちゃけ、見聞きしたものを鵜呑みにしたほうがラクです。余計なことを考えることよりも、シンプル楽しめます。他人からすると怒っているように見えても、実は本人は楽しんでいて、その時々に感情が出ているだけで、すぐに忘れてしまっている可能性も高いです。

でも、考えていないってことは完全に思考停止状態です。

そのため、情報発信やエンターテインメントを作り出すということではなく、自分の感情を表現したりぶつけたりできればそれでいいというのが観客的思考です。


ある意味、エンターテインメントを提供する側の人は、思考停止している人の方がありがたいでしょう。深くツッコまれることはないし、見たものをそのまま楽しんでくれれば作る方もラクです。

しかし、ネガティブなイメージを与えてしまった場合は、正直めんどうな相手になってしまいます。暴言も誹謗中傷もお構いなしです。

心の中でボロクソに思っている人もいれば、クレームの電話をする人、Twitterやブログなどで発信する人、嫌がらせという行為をする人もいるでしょう。そうしたいわゆるアンチが現れてしまうリスクがあります。


演者的思考の人にとってはエンターテインメントでも、観客的思考の人にとっては真実なんです。

どんなにこれはエンタメ、作り物、演出されたもの、設定ありきのものなんだと言われても、それが真実である以上、反射的に感情がわきあがってくるのではないでしょうか。

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