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言葉にさせてくれてありがとう (2022.8.27)

2022年8月27日 日記


そんな出来事がありました。
大切な人がいます。
大切な、大切な友人。
ちょっと前に、電話をして。
すごくいい影響を
受けさせてもらって、
感謝している、と伝えたら、
私からも影響を受けたり、
自分の決断の力添えになった、と話してくれた。

電話越しで、すごくすごく、暖かなものを、
多分お互いに感じていた時間が、
とても貴重で、とても尊くて、
とても壊れすい薄膜の氷のよう。

壊れやすいものは、
大切に丁寧に扱おうと決意した。

私のこの気持ちは、
他ならない相手に対する純粋な愛で、
だからこそ、私は縛ってはいけない、
相手を尊重して、
受け止めて、受け入れて、
そして liberate - 解放するのが、愛だろう。

その人の背景に何があろうが、
愛を持って接してくれて、
言葉も、行動もそこに矛盾がなく示してくれる、
そんな人が最高に素敵で最高だ。

私はまだまだ。

目に見える周りの人達、愛せないことだらけ。
でも、愛するには愛とは何かを突き詰めないと。

-

最近、というかこの1年くらいかな、
何度も折につけ、
思い出す人の存在がある。

私がカナダで出会った人。

私のことを、私の本名で呼び、
一度も「ぶん」と呼ぶことはなかった。

理由は分からないけど、今思い返すと
あの人は私の弱くて繊細な、
弱いところを見透かしてた、
みたいなところがあった。
そして、すごく不思議なくらいに
居心地が良くて、
家族みたいに暖かくて
そよ風のように気持ちがいい人。

一緒にご飯を作ったり、
散歩したり、
お祭りに行ったりして、
すごくハッピーだった思い出。

一緒に住んでいたから、
起きてすぐ目の前にいつもいて。

そんなことってなかった。
相手が旅行で数週間いなくなった時、
寂しすぎで泣いたりしてた。
そんなことも今まで経験しなかったから、
本当に、、なんていうか
なんて貴重な存在だったのだろう、と
今になって思い出しては、
ため息をついてしまう。


今でも繋がりはあるから
連絡しようと思えば出来るのだけど、
最近思ったのは、

「いや、まだ再会できない。したくない。」

ということ。

まだ会いたくない。
まだ会えない。
私の成長が足りてない。

でも、いつかまた会った時に
胸を貼って堂々と

「久しぶり!」

と言えるような
自分になりたい、と思った。

そんなモチベーションを私に授けてくれている。




私は結構、寂しがり屋なようだ。
照れ臭いけれど、やっぱりそうみたい。
最近の学び、気づきとリンクしていて面白い。
やっぱり、学び終えてなければ
同じ試練が来るんだと知る。
(2023年・夏)

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