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続・恋愛コラムに踊らされる私たちへ

投稿してから1年半ほど経ったこの記事は、今でもたくさんの人に読まれていたりコメントをもらったりする。

温かいコメントをもらって誰かを救えたのかもしれないと思うと、書いた甲斐がありとても嬉しい。

そんな私はここ最近、完全に恋愛コラムを読まなくなった。

私が求めていないことを理解したのかLINEのヘッダーに恋愛コラムが出てくることも無くなったし、おかげで読み漁る時間そのものが無くなった。

そもそも、恋愛に関する悩みがほとんど無くなった。

何故かというと、彼と積み重ねた時間の中で、一緒に色々なことを解決できるという確信が持てるようになったからだ。

そしてその解決策は、私が1人でいくらコラムを読んでも辿り着けなかったものだ。




あの記事を書いた時に付き合っていた彼とは今、同棲して一年ほどになる。

当時は私は実家、彼は一人暮らしで、週末しか会わないし1日1回LINEのやりとりをするくらいだった。

調子が良ければ週に1度電話するようなリズム。

それが嫌だとは思わなかったけれど、100点満点とはいえなかった。

突然不安になったり、“今”話したいことだってあるし、こちらの情緒で感情は左右される。

私は想像力豊かだから、五感で確認しなきゃ納得できないこともあった。

浮気を疑うことは一度も無かったけれど、あまりにも返事が遅くて死んだんじゃないかと思ったり、

私のことが好きなのは十分に伝わっていても、「もっと好きってアピールしてくれよ!!」なんてワガママに思う日もあった。

今思えば、そういう相手とコミュニケーションが取れない(取りづらい)時にコラムを読んでいたんだと思う。

けれど、彼と一緒に時間を重ねていく中で徐々に分かったことは

きちんと伝えれば、きちんと答えが返ってくるということと、

きちんと話し合えば、きちんと”2人の解決策”を導き出せるということだ。


それは当たり前のことなのに、コラムを読んで1人で答えを出そうとしているとすっぽり頭から抜けてしまう。

だって、たくさん読んだコラムの中に答えがあると思ってしまうから。

そして「正解の数=コラムの数」になってしまうから。

2人で話し合いをする度に、コラムの中では決して見つからなかった答えが導き出された。

「俺はこういう時こう思うから、この時だけはこうしてくれると助かる。」

え?そういう時そう思ってたの?気づかなかったんだけど…

「でもそれ以外の時はhonoちゃんの好きなようにしていいよ。」

え、好きにしていいんだ!

「嫌だって思ったことはないからね」

嫌じゃなかったんだ!私の思い込みか…


こんな具合に、自分が思っていたことなんて当たりやしなくて、

恋愛コラムに書いてあることなんて、コラムニストが想像した架空のカップルの解決策なんだってことを、身に染みるほど体験した。

時々は答え合わせのようにコラムの意見と彼の回答が合致することもあったけど、私の意見と擦り合わせた結果コラムの結論と変わることもあると知った。

「コラムに頼っても無駄だった」が増えていって、話し合いや気持ちを伝えることでの成功体験を繰り返すうちに、

「恋愛コラム読も!」「調べよ!」と思う前に、「ねえねえあのさ、」と彼に伝えるようになってしまった。

そして爆速で話し合いを行い、サクッと解決する。

「相手に相談すること」のハードルがものすごく下がって、解決に導くスピードが段違いに上がった。

だから私は、恋愛に悩む時間がとても少なくなった。

そして彼と不穏な空気で過ごすようなこともほとんどない。

恋愛コラムは結局、パートナーに意思を伝えることを躊躇うことで生まれる不安な人々を餌にしているのだ。

別に恋愛コラムを読んだって良い。そこに不正解が書いてあるわけでもない。

だけど、コラムを読んで1人でごちゃごちゃ考えているその間に、

恋愛コラムを読まない人々は、すでに2人でちゃっかり解決して仲良く過ごしているのだ。

コラムによく登場する「恋愛上級者」になる必要はないけれど、「自分の気持ちをきちんと相手に伝えることができる人」になると、一気に恋愛が上手くいく。

そして一緒にきちんと解決に持っていける人こそが、長く一緒にいれる人になると思う。

そういう2人になるために、コラムを読む手は止めてほしい。

そしてその分、パートナーと深く話し合ってほしい。

2人の幸せは、やっぱり恋愛コラムにはどうすることも出来ないから。





#恋愛 #コラム #エッセイ #パートナー #彼氏 #彼女  

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