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本日の発掘〜フーテン(永島慎二作)

終活の一環として部屋を片付けている私、本日は古い本の中からこんなのを発掘しました。

フーテンというと寅さんを想い浮かべる人が多いでしょう。
でも私にとってはこれ。
永島慎二作「フーテン」。

かなり読み込んでボロボロであります


瘋癲(フーテン)とは
1 精神の状態が正常でないこと。 また、その人。 
2 通常の社会生活からはみ出して、ぶらぶらと日を送っている人。

昭和40年代、社会からはみ出してしまった若者たちが街にたむろし、ボーっとその日暮らしで生きていた。
彼らはフーテン族と呼ばれていた。
そんな人達を描いた漫画であります。

なぜはみ出しちゃったのか。
大事なものはなんなのか。
人ってなんだろう。
人生ってなんだろう。

と悩んでいるかと思いきや、ドラッグや酒に溺れてどんちゃん騒ぎをしている。

そんなちゃらんぽらんな生き方をするフーテンたちの、良いとこも悪いとこも実に人間らしい部分がぎゅっと詰まった作品であります。

作者の永島慎二氏も彼らと交流があったようで、作中にも本人を投影したと思しき漫画家が出てきます。

私は当時子どもだったので、実際のフーテン族たちには会ったことがないけれど、時代の空気はなんとなく知っている。

社会からはみ出すことがカッコいいって思う時期ってあるじゃないですか。

私は中学から高校のころちょうどそんな時期だったので、そんな作風の永島慎二が大好きでした。

さて、ずっとお絵かき上手な子として認知されていた私は、高校の修学旅行のしおりの挿絵を描くことになりました。

そこで当時どハマりしていたこの「フーテン」の表紙をモチーフにして生徒御一行様を描いたのでした。

その中にリーゼントのツッパリ君(死語ですね)も入れてみましたが、案の定先生からダメ出しを喰らい、泣く泣くホワイトでリーゼントを小ぶりに修整したのはいい思い出です。

そしてこんな漫画、誰も知らんだろうと思っていたのに「おめー、これフーテンからとっただろ」と男子の同級生から言われてびっくりした記憶も。

バレたか〜、と思ったと同時にこんなところに同志がいたか!と嬉しくもあり。
当時の私はかなりのコミュ障だったので、その後漫画談義に発展することもなく、今思うと残念です。

その後もこの作品は何度も繰り返し読みました。
なにが私を惹きつけるのか、よくわからないけど、この作品から伝わってくる「ペーソス」と「優しさ」みたいなものが好きなのかも知れません。
高校時代からずっと私が大切にしている感覚でしょうか。

今の若者がこの漫画を読んだらどう感じるでしょうね。
がんばってる人からは意識低すぎ!なんて笑われるでしょうか。

今は生きづらい世の中になったなどと言われているけど、実はもう50年以上前にも社会からはみ出ちゃった人がたくさんいて、今と同じように自己肯定出来ずに彷徨っていた。

この作品で表現される、生きることの悲しみや孤独感。
その根底には、それらを知ってるからこそ人は他人を赦し、それが自分を赦すことにもなるってことがやんわりと読み取れます。

弱虫だけど、ちゃらんぽらんだけど、貧しいけれど、“生きてていいんだよ”ってちょっと励ましてくれてるような気がします。

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