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早めの夏バテと、ネット音痴にはきついオンライン授業、妹との散歩などのこと。目を逸らしていた自分の欠点に直面した、人と関わること。

朝から酷く眠くて、微睡んでいると昼になった。最近、早めの夏バテなのか食欲がない。最近というか、1ヶ月くらい無い。何かを食べていると微妙な吐き気が襲ってくる。人と食べている時はむしろめっちゃ食べたりするけど。

服が少ないので、夏に向けて買い足さなきゃ、と服屋に行ったが、S、M、Lと並ぶ服の中から自分のサイズを探しながら、頭の中は最悪のバッドトリップだった。出かける前に音楽を聴き流していて、聴いている間は最高の心地だったのに、圧倒的に自分より才能のある人達など幾らでもいることを思っては、それに比べてこんなしょうもない自分に付加価値を認めて欲しいなんておこがましいことだ、と自分に嫌気が差したり。自分が他人に偉そうに言ったこと、所詮私の個性とやらはオリジナルのふりをした模倣、信頼などと言って私は友達を盾にしたんじゃないのか、そんなことが頭の中を絶えず回っていた。

逃避ばかりを考えているが、そんなものはただの甘えだ。分かっている。結局耐えきれなくなって服屋を出て、その辺を自転車でぶらぶら回った。家に帰ると大学入学時にできた友達から、今日オンライン授業あるよ!とLINEが来ていた。既に何度か授業や課題をすっぽかしてしまっている私を心配して、彼女は毎回LINEをくれる。ありがとう。慌てて授業に入ると、いつぞやに友達とzoomでだらだら喋った時の、ふざけた背景のままで、教授に本当に最悪な印象を与えてしまった。

再度襲ってきた眠気と戦うのが大変だったが、幼児教育専攻の多いクラスで、子供向けの手遊びや歌を対面で照れながらやっている同級生を見ていると少し気分が晴れた。子供の視力が大人と同じくらいになるのって6歳前後なんだって。それまではよく見えてないらしい。そういえば子供の頃友達のお母さんは全員同じに見えた気がする。

妹が1階でゲームをしていたので、無理やり散歩に連れ出した。性分なのか、私は初対面だろうが多少印象の悪い人だろうが友達だろうが異性だろうが、もちろん仲のいい人や信頼している人に対しても、とにかく喋るのが好きで、いつまででも喋ってしまう。大抵は会話の8割は相手に喋らせるのだが、相手が妹ということもあってか始終私だけが近況を話し続けた。

対人の大切な決断を、私はいつも人任せにする。
自分だけが責任を負う決断なら、私が1人で決めればいい。あとは私が責任を負うだけ。だけど、誰かに対してする決断は、私は人の気持ちが分からなくて逃げてしまう。自分の決断が大切な人を傷つけるのが怖いから、常識や良識や、誰かの意見といった曖昧なものにすがろうとする。大切な人にほど向き合わないといけない。大切な人ほど傷つけてしまう可能性は高くなる、だから関わりたくない。私は人と向き合うことから逃げ続けているのだ。

私は正直、変わっていると思う。色々な感覚がずれていて、その上、生半可人と関わろうとするから、きっと多くの人を振り回す。相手のためを思ってしたことが、相手に傷を負わせるのは辛い。だけど私はいい加減失敗から目を背けてはいけない。私はちゃんと自分の意思で失敗を繰り返して、時に人から避難されたり、大切な人を失ったり、しなければいけない。いつまでも綺麗なまま逃げてはいけない。

私にとって人間関係というものは、綺麗に終わらせて、逃げるものだった。だけど人間関係に終わり、というものは存在しないよ、と知人は言った。何もかも無くなったりはしない。

昔慕っていた塾の先生が、人間のシナプス(脳の神経細胞)の仕組みを教えてくれたことがある。シナプス同士は、糸のようなもので繋がっていて、思い出されなければやがてその糸はどんどん細くなっていく。だけど何かの拍子で再び繋がった時、芋づる式に、昔の記憶は呼び覚まされる。記憶は本質的には無くならないんだよ。今思い出せないだけ。

子供の頃の記憶だし、真偽のほども分からないが、記憶の全てが私の脳の中で形としては残り続けていて、何かの拍子に思い出す可能性がある、と思うことは私にとって救いだった。だから今でも覚えている。綺麗に終わらせて、二度と戻らない。物事はそれだけじゃないの?

私はなぜか、謎の、自分への絶対的な自己肯定を昔から持っていて、「私ってこんなに魅力的なのだから、もっと見て!褒めて!」みたいなモードに入っている時が一番きらきらしているし、人に対しても優しくなれる、という我ながら独特な性質をしている。私はプライドを失った時ほど逆に面倒くさい。ひねくれるし、ずっとうじうじしている。簡単に言えば、褒められて伸びるタイプなのだ。

私は、これから自分の意思で人と関わることから逃げないでいようと思う。たとえその意思に自信が持てなかったとしても、肯定が貰えなかったとしても、自分の意思を亡きものにしてはいけない。もし私のした決断で多くの人から避難を浴びて、大切な人が離れてしまうとしても、どうせはまれない型に自分を無理やり押し込めて、他人に責任を転換するのはやっぱり違う。

自分の意思を貫いて、たとえ1人になったとしても、人間関係は有と無の2択じゃない。それからいちいち人を傷付けることを怖がったり、罪を一身に背負おうとするのも、もうやめよう。人と人はやっぱ本質的に分かり合えないし、啀み合うものなのだろうけど、私はそれを怖がって人とちゃんと関わろうとしていない。変わろう。大丈夫私は必ず私の味方だ、孤独は悪いことばかりでは無い。

眠れない夜に捧ぐ