終戦後のクリスマス
月日は巡り、今年は、はや戦後78回目のクリスマスを迎える。
クリスチャンでもない私は、特にクリスマスに興味を持ったことはなかった。しかし戦後の日本には、占領国アメリカによって、いろいろな風習が持ち込まれた。
特にキリスト教の信者が増えたとも思えないが、宗教としてでなく、行事ばかりが盛んになったように思う。
講和条約が結ばれるまでの7年間、日本中の主要なビルや豪邸などが、進駐軍に接収されていた。立派な教会もそれに漏れず、クリスマスでも、一般の日本人は立入禁止だった。
当時、ラジオのカムカムエブリボディをはじめ、英会話教育が盛んに行われ、私の通っていた高校でも、課外授業があった。
その英語の先生は、教会のクアイアー(教会の合唱団)の団員なので、特別に許可をもらって、クリスマスイヴに、私たちをその教会へ連れて行って下さったのだ。
それは戦後1,2年の頃だったと思う。 日本はまだ国中が貧しく、食うや食わずの時代だったので、アメリカ人たちに占められた教会のクリスマスイヴは、まるで別の世界だった。
大きいホールいっぱいにコーヒーの香りが立ち込め、見たこともないようなご馳走やお菓子が並んでいる。
招かれざる客の少女たちは、おずおずと、コーヒーを一杯ご馳走になっただけで、現実の世界に引き戻された。
この教会での光景は、70年以上たった今でも、クリスマスが近づくと、コーヒーの香りと共に、その思い出が脳裏に蘇ってくるのは、世間を知らない少女でも、文明社会の力の差に圧倒されたのだろうか。
その後の私のキリスト教との付き合いは、讃美歌を覚えたくて近くの教会へ通った時期もある。聖書を読んではみたけれど、どうも一神教は、私の宗教感には馴染まないようで、牧師さんの説話も、あまりすんなりとは受け入れ難かった。
その後の付き合いは、宗教からは離れて申し訳ないのだけれども、引越しのたびに近くの教会を訪れて、そこの牧師さんたちに、英会話のお相手をして頂いた。
今は、長女が熱心なクリスチャンになって、私の不真面目さを償ってくれているのは有り難い。
それで、クリスマスの時期の私は、彼女の話に素直に耳を傾けながらも、やおよろずの神に感謝を捧げつつ、 クリスマスケーキを楽しんでいる。
サムネイルは新潟カトリック教会
(1846年設立)
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