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歩合制、成果主義は必ずしもその通りだとは言えない説

 転職の要因の上位に上がる「人事評価が適正ではない」という問題。これは昨今で言うと「成績や業績を上げているのに昇進、昇給が無い」ということとも一致する。
 外資系などでは「成果主義」或いは分かりやすい会社では「歩合制」がある。これらを取り入れている会社は若い人や客観的にも一見「適正な評価」と言えるのだろう。ちなみに私は間接部門なので、営業でいう歩合制は絶対にやりたくは無いし、興味もない。今回はそれについてお話しようと思う。

 まず、成果主義や歩合主義は決して平等主義ではないということだ。まず、成果主義に関して「成果」とは何か、ということになる。成果とは営業で言うと数字である、という声が大半だろう。ただ、その数値の前提はどうなるのだろう。例えば、社会人、何年目と新人の成果の目標は違う。まぁ、それは良いとしても、担当するエリアが違う。人によっては目標も違い、それに対する進捗度であったりする。
 そういう諸々な諸条件を加味すると、成果主義を謳っている会社も決して平等とは言えない。とある会社では全員が大体達成できるような成果を目標として掲げる。それはなぜか。部下の成果が出せなければ上司が評価される。なので、達成できる成果を各人に与える。ちなみに皆がそうすると、差があまり出ない。謎の成果主義の到達点である。

 次に歩合制。私は歩合職が濃い会社に入ったことは無いが、とある業界の面接を受けたりすると「安定が好きなんでしょ?じゃあダメだな。ガンガン行かないと」みたいなイケイケのおにーさんが人事と言うか面接官だったりするところを見て「歩合制って確かにどこもこんな感じになるよな」と思っている。
 一見「数値を多く出しているのだから、その分給料を多く貰える」というのは正しい理論のように思える。しかし、これは行き過ぎると最終的には「数字をあげればぶっちゃけ何でもいい」というところまで行き着く危険性がある。というか行き着く可能性が高く、今日日新聞を賑わせている会社なんかもその弊害と言える。
 また歩合制の会社では数値をあげないやつは人間扱いされない危険性もある。そういう会社が働きやすいか。というか何か歩合制=パワハラと感じてしまうのは私だけではないはずだ。

 現在貴方が「うちの会社にマジで働かないやつがいて、自分より給料が高いのはガチでやっていられないぜ」と思っているのであれば、その気持ちは分かる。正直、大きい会社であればどこにいても見える景色であり、珍しい話でもない。
 しかし、私自身はそういう人を雇っていられる体力のある会社であり、そういうのが多いと確かに困るが、基本的には社会の賛美すべき側面の一つであると思っている。
 
 人間は常に全力疾走で働き続けることは、普通、できない(出来る人はそれでいい)。また、人を蹴落として、騙して、脅して、追い詰めて。自分の幸せの対価として他人を不幸にするのであれば、それに一体どれほどの意味があるのだと私は思う。

 人生や仕事はフェアではない。個人的に何をもって「適正」や「フェア」である言うのか。色々なことを考えながら、少なからず、毎日を幸せと感じる会社に、一人でも多くの人が勤めていただくことを心から祈っている。

良い、働き先との会合を。

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