見出し画像

読書記録「すべて真夜中の恋人たち」

恋愛小説を初めて読んだ。
恋愛小説とも知らずに本屋で平積みされていたこの文庫本を手に取ったのは、表紙の夜空とタイトルの美しさに惹かれたから。

帯を読んで恋愛長編小説だと知る。「すべて」や「恋人たち」から勝手に短編集だと思っていたが違った。
青春小説は主人公が眩しすぎて途中でリタイアしたことがある。
なので恋愛のきらきらしたものを受け止められるか不安だったが、杞憂だった。

どこか自分と通ずるものがあるような主人公だった。
ひっそりと暮らしている。
主人公の人生をじっとりとなぞるように読んだ。

「真夜中は、なぜこんなにもきれいなんだろうと思う」。
わたしは、人と言葉を交わしたりすることにさえ自信がもてない。誰もいない部屋で校正の仕事をする、そんな日々のなかで三束さんにであった――。

途中まで、不安になりながら読み進めた。
本当に恋愛小説なのか?
主人公の生活している範囲が狭くて、異性の姿が出てこないまま100ページ程読んだところで、それらしい人物が現れてほっとした。

ほっとしたのも束の間。
主人公も、相手の三束さんも信用していいのか分からない。
主人公はマイボトル飲酒のシーンがナチュラルに書かれていて、おいおいと心配になるし、三束さんはいつも同じ服で素性が分からないまま交流が重ねられていくし。

フリーの校閲者である主人公は、ひとりで生活している。
普段の生活に関わりがある人物は一人だけ、校閲の仕事を手配してくれる仕事相手で友人でもある聖(ひじり)。
聖は、主人公との対比のように書かれている。
部屋の中でひとり生活している主人公と、自分の意見を持っていて、恋愛には奔放に生きている真逆のような友人。

主人公の会話には「はい」が多い。圧倒的に多い。
三束さんや聖のセリフに「はい」しか回答していないところもあって、読んでいるこちらがじれったい気持ちになってしまうこともしばしば。
主人公の生活がしっとりと書かれていて、不穏な空気に満ちているように感じるのに、主人公には幸せになってほしいと思いながら読む。

主人公の人生にあるじっとりとした空気感。
これは小説にしかできない間の取り方だと思う。
私は普段、推理小説を読むことが多い。なので、「すべて真夜中の恋人たち」のような恋愛小説とは文章の雰囲気は大きく違い、最初は躊躇いながら読んでいた。
推理小説では事件の起承転結が軸になっていて、物語の展開を読みながら追う。
恋愛小説の軸になるのは感情の揺れ動きだと感じた。
主人公の人生をお裾分けしてもらったような気持ちになった。
恋愛は当事者本人の芯を食う部分であるので、人となりを表現する必要があるのだと思う。
現在まで主人公はこう生きてきたから、この人に会ったときこう思ったんだなと納得するために必要な前半だった。
そして一気に展開されていく後半にくぎ付けだった。

正直、こんな気持ちになったのは初めてでうまく感想が書けない。
新しい読後感を抱けた。
やっぱり有名な作品というのは有名なだけの理由があるのだなと思う。
心にきれいなものを残してもらえたような読後感だった。

自分の好きなものだけを読むのもいいけれど、また直感を信じて新しい本を探しに行こうと思う。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?