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読んでいない本について堂々と語る方法(ピエール・バイヤール ちくま学芸文庫

11代目伝蔵 書評100本勝負 45本目
 唐突ですが、僕は元来夢想家です。だから何か次のような夢想を半分本気で夢見たりします。それはどこか名の知らぬ無人島に1ヶ月ほど逃避してしかもその島はなぜか電気はもちろん下水道が完備されていて食材その他も完璧なので、毎日料理を作りながら、昼間から(或いは朝から)ビールを飲にながら本を読み耽るです。取り敢えず謝っておきます。ごめんなさい。
 持ち込む本は100冊程度で既読、未読に関わらず選択したいと思いますが、その1冊として既に既読ながらこの「読んでいない本について堂々と語る方法」入れたいと思っています。読む度に(といっても通読したのは二度ですが)新たな発見があったり、忘れている箇所(苦笑)があったりしながらいつも知的な刺激を受けるからです。
 しかしながら「本書を愛読している」というのはその内容からは矛盾を孕んでいます。なぜって、著者は題名にあると通り「読んでない本について堂々と語る」ことを推奨しているからです。著者は本を精読することの危険性を本書の中で何度も強調します。それは本に取り込まれ、自分が本来持っている創造性を失わす行為でもあるとさえ主張します。そのために流し読みや読んだ人から内容を聞くことを推奨しています。そして究極的には読んでない本について語ることこそ、読者の義務であり、創造性を拡げる方法であると断言するのです。著者の考えに全て共感したわけではないし、理解しにくい箇所も少なくありませんでした。しかし著者の「本は読まなければならない」という教養主義に対する反発や本を精読することの危険性については納得されせられました(こういう態度は著者の望むところではないかもしれませんが)。そして本書では著者の考え方を披露するためいくつかの本と人物(主に作者)が取り上げられています。そのほとんどが僕には未読の本で、それでいて魅力的な本のようなので、早速読んでみたいという衝動に駆られます。それでは本書のよき?読者と言えないので、今のところ自重しております。
 本書の中でいちばん驚いたのはヴァレリーがほとんど読書をしないらしいということです。僕自身はヴァレリーを一冊も読んだことがありませんが、大学時代の文学青年たちの何人かが「ヴァレリー、ヴァレリー」と神のように崇めていたので、ヴァレリーはかなりの読書人と思っていました。本書でも取り上げれれているオスカー・ワイルドもまた読書の危険性を指摘した作家であったそうです。著者を含めてこれらの人物が「本を読まない」ことをにわかには信じ難いですが、本を読む危険性の一端は理解できたように思います。僕が書いているこの書評は「面白いから読んでみて」という気持ちで書いてきました。しかしこれからは僕が書評を書くことで読んだ気にさせたり、読む必要がないと考える判断材料になればと思いつつあります。
 本書の著者ピエール・バイヤールの著作を初めて読むのが初めてだと思っていましたが、20年以上前に「アクロイドを殺したのはだれか」を読んでいたのを訳者のあとがきで知りました。この本はアガサクリスティーの「アクロイド殺し」の評論です。「アクロイド殺し」でクリスティーが設定した犯人には無理があり、真犯人を突き止めるという内容だったとも思います。おそらくこの評論はバイヤールの真骨頂で「読んでない本」の考えが昔から変わってないと思いました。まさに「著者に付かず取り込まれないことが新たな創造を生む」という彼の主張に沿った本でしょう。本書もそして「アクロイドを殺したのはだれか」も知的好奇心を刺激する本であるということでこの駄文を終わりたいと思います。

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