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生きづらさの理由は自分だった

おはようございます。

昨日は久しぶりの雨、こんな日は
家の中でたまった本を読む日にしようと
読んだ本の一冊に

〜する『べき』という思考は自分をがんじがらめにするだけでなく、他人をも、その目線でジャッジするからヒトを好きになりにくいし、ヒトからも好かれづらい。

そうだ!とハッとしました。

自分の言動は常に『他人から見た正しい』ようにする“べき”である。

50年、物心ついたときから、ずーっとこう生きてきたのです。
誰が見てなくてもマジメに。

自分はそうやって一生懸命に頑張っているのだから相手(家族や友人)もそうある“べき”だと
勝手な圧力をかけていたのです。

特に【迷惑をかけること】には
異常なまでに恐れがあり、家族…とくに子どもがそういう行為をしたときは狂ったように怒りました。

なんでそんなことするの!!と。

自分自身のべき思考に身動きが取れなくなり
それをオットや子どもにまで強要し、
友だちには(私目線で)いい加減な人だと疎遠にして…

苦しんでいた原因は自分じゃないか!


ではなぜその“べき思考”になり
いつからそれに捉われているのでしょうか。

そこにはやはり親、とくに母親の言動があります。

私は常に『いい子でいてね』と言われてました。
祖父母宅に預けられるときも、おつかいに行くときも。
お願いだから、と言われたら守らないわけにはいかない、と子どもながらに『いい子』を頑張っていたと思います。

その本の中では

べき思考に至るには親が最も大きな影響を与えただろうけど、それはキッカケでしかなく、「せい」ではない。親のせいと思うことで楽になりたい自分が影響を原因に変えたのである。

親のせいでこうなった!
親のせいで苦しんでいるんだ!

こう思うことで自分は被害者で悪くない。
この方がラクですもんね。

その本ではいい意味でもっと迷惑かけてワガママになろうと提案していました。
要はもっとラクに自分らしく、と。

ずっと我慢してきて、ガチガチに頑なになってた人のワガママなんて、たかが知れてるのだし、
ヒトによっては、やっと本音を言ってくれたと喜んでくれるかもしれないのだから、と。

今までずっと、べき思考だったのに
そう簡単に変われないよ…
私もそう思います。

でもワガママになろう!は難しくても
例えば手抜きと思い込んでいたことを
やってみるくらいから始めたらいいのかもしれません。

▪️毎日必ず掃除する“べき”
→汚された〜!とイライラするくらいなら
今日はやめたっていいのかも。

▪️出かけるときはオットの食事を作る“べき”
→たまにはコンビニやラーメン屋に行くのもかえって楽しいのかも?

自分の思考に捉われているから
相手にも同じことを求め、
できないことに苛立つ

自分が変わらないままだったのに
相手を変えようとするなんてムリな話ですよね。

やっと気づきました。
まずは自分が『心地よい』ことだけをして
『やりたくないこと』を少しずつでも手放して
ゴキゲンな毎日にすること。

それは自分のためであり、周りの人たちのため…

迷惑かけまい!とガチガチでいることが実はいちばん迷惑かけることだったのですね。


お出かけして楽しい日も好きですが
こうして静かに本からヒントを得る日も同じくらい大切だと、久しぶりの雨から感じた出来事でした。

今日はまた晴れて暑くなりそう。
気をつけてお過ごしください🍀

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