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人生最大の『赤っ恥』をかいたときの話

私は、記念イベントやホームパーティーがある時など、ピアノ演奏のご依頼を受け、演奏に赴くことがあります。


出張演奏の仕事です。

ホテルや結婚式場で生ピアノをレンタルすると、大抵、数万円程度のオプション料金が必要になります。

このオプションのハードルは結構高く
依頼者がピアノを借りてくれることはほとんどありません。

ですので、多くの場合、自前のステージピアノ(電気楽器)を弾くことになります。

当然、自分で会場まで運びます。

楽器を車に乗せて目的地まで移動し、台車をお借りして楽器を乗せ、従業員用のエレベーターを使って、ぶつかったりしないよう慎重に運びます。


ステージピアノは重さが30キロ弱。
あまり、軽くはないです。


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でも、持ち方にはちゃんとコツがあって


自分の体の重心部分(おへそのちょっと上あたり)と楽器の距離は離さないよう注意を払うと、翌日以降、ふとんの中で療養生活を送らなくて済むので、おすすめです。


音楽の仕事は、血が騒ぐといえばよいのでしょうか。自分が一番、自分らしくあれる場所のような気がします。

依頼を受けるときには、曲のリクエストも同時にいただくことが多いです。


こんなとき、演奏依頼の入る曲のタイプは、どんなものかというと


私の場合、一番多かったのは、
主催者が大切にされている『想い出の歌』


その歌を来場者と一緒に歌いたいので、伴奏をお願いしたい、というオーダーをいただきます。

そんな時、私は依頼者とその曲に関するエピソードをお聞きしたりします。イベントの内容に演奏をフィットさせる意味もありますが、人が音楽を求める動機に興味があるのです。


その曲たちが彩った年代も本当にまちまちです。

大正時代に生まれた童謡や
中には、自分の全く聴いたことのない曲の名を告げられることもあります。


知らない場合はCDなどの音源を事前に聴かせてもらい、ピアノ伴奏をお付けします。


ほかには、歌謡曲・ポップスのスタンダード曲をちょっとおしゃれな雰囲気でピアノ編曲したもの、クラシックの曲も少し入れていただいてもいいですよ、といった感じです。

こういったタイプのピアノ音楽は、人が集まって歓談をする空間になじみやすいようです。

BGMにしたり、イベントの幕間でのつなぎのような使われ方をします。


ホテルや結婚式場などのイベントでは、200名近いお客さまが来場されることもあります。





演奏前になるとピアノの前に座り、静かに、出番を待ちます。


演奏者の能力によっては、ピアノ演奏は、自分がイメージした情景を言葉で語るくらい簡単なことで、緊張なんてしないという方もいらっしゃると思います。

「緊張する意味がわからない」


人前で演奏を披露する器楽奏者とは本来、そういう人であるべきなのかもしれません。

ですが、私にとってこの時間は、自分のこころとの闘いのようなところがあるのです。


「どうすれば、まともに弾くことができるだろう?」


そんな自問自答がどうしても付きまといます。

経験的に、この本番前の数分の中で、音楽における大切な気づきを得ることが多いと感じます。

練習よりも、体験を優先する


これは楽器演奏以外の場面においても、通じることかもしれませんね。


演奏にうまく入ることができ、求められたものを提供できた時は、一安心。


その場に集った人たちと音楽を共有する時間というのは、なかなか良いものです。


そんな時、人ってものすごくオープンになって、感情を表に出し合うので、新しい人間関係が生まれたりするんです。





ですが、うまくいくことばかりではないんです。これが。


それは、数年前、ホテルを会場とした、ある記念式典での出来事です。


ある経済団体の目標達成をお祝いする式典で、私は、その式典で流すメモリアルムービーの作成と、その映像に合わせる形での生演奏を依頼されました。


「映像と生演奏が同期して盛り立て合ったのち、エモーショナルかつハートフルなエンディングを迎える」


提案を聞いた瞬間、すぐにそんな情景が浮かんできました。


頭の中で、イメージが先行していきます。


音楽は、ピアノとストリングスのアンサンブルでいくことにし、編曲を行いました。ストリングスパートはキーボーディストに担当してもらいます。


ピアノパートはダイナミックで音域の広い伴奏型を用い、式典にふさわしい、重厚でパワフルな響きを備えた編曲に仕上がりました。キーボーディストとは何度か練習を行い準備を整えます。


そして本番当日。


式典は、ホテル内にいくつかある会場の中で、最も大きな会場を抑えて開催されます。150社近い、実績のある経営者の方々が集うことが確定しており、厳かな雰囲気で、式典の設営が着々と進められています。


私は例によって、楽器・機材を運び入れ、準備をします。


ですが、ここでトラブルが生じます。


音響担当者が用意してくださったケーブル、DIを接続しても会場のスピーカーから音が出ないのです。


慌てて代用の機材を持ってきていろいろ接続を試みるのですが、音が鳴りません。


結局、本番ぎりぎりで音は出たのですが、リハーサルなしでの、ぶっつけ本番での演奏となってしまいました。


すぐに、式典が始まります。もう、時間を止めることはできません。


メモリアルムービーと演奏の時間が訪れ、コンピューターに準備した映像を流し、(コンピューターのオペレーティングも自分が一人で担当していました)すぐに、演奏のスタンバイをします。


映像が進み、音楽が入るタイミングが来て、演奏を始めます。


キーボーディストはうまく演奏に入ってくれました。


しかし、私はどうも、うまく音楽に入りきれずにいました。


演奏はできていて、音楽は会場に響いているのです。ですが、なんだかふわふわとした感覚で、心ここにあらずという感じなのです。


危ない兆候です。


・・・思い出すのも、結構、しんどいのですが


結局、私の演奏は、止まってしまいました。静まりかえった会場には小さなざわめきが響いています。


「えっ、音楽はどうしたの? 映像だけ流れてるけど・・・」


いわゆる、『頭の中が真っ白』という状態。


幸先よく始まるはずの記念式典の出だしが、これ以上ないほど気まずいものになってしまいました。


大惨事です。


私は、生まれてこの方、ここまでの大失態をしでかし、ここまでの大恥をかいたことは一度もありませんでした。


まず、主催者に迷惑をおかけしてしまいました。そして、演奏パートナーに迷惑をかけ、辛い思いをさせてしまいました。


皆さまに、心の底から謝罪したくてしかたがない。そんな気持ちがお腹の底から湧き上がってきます。


何を感じればいいのかもわからない。消えてなくなりたい。


それ以外に想起されることもないのですが、式典は進んでいきます。私は自分に用意された円卓の席に戻り、じっとしていました。


式典の祝辞、挨拶等が終わり、食事と歓談の時間となりました。


すると式典に参加している人たちが、タイミングを見計らいながら、私のもとを訪ねて来るではありませんか。


「どんな恐ろしい言葉を投げかけられるのだろう」


忸怩たる思いで、伏し目がちでいる私。


ですが、私の目の前に現れた方々の行動は、自分の想像に反するものでした。


励ましの声をかけてくださったり、失敗をジョークにして笑わせてくれたりするのです



実は、その式典には懇意にしている知人や友人も参加されていました。


失敗の苦しみは消えないのですが、想像もしていなかった、人のやさしさ、暖かさに触れ、不思議な感覚でした。


ですが、この時点で、まだ気を抜けない理由がありました。


実は、そのあと式典の中で、クラシックの曲を一人で弾くプログラムが残っていたからです。


何とかしなければなりません。


「まさか、もう一度同じことを...」


「もし、そんなことにでもなってみれば...」


それは十分、自分でもわかっているのです。


ですが、そのときは、自分の指と音の感覚の連携に自信が持てない、そんな弱い気持ちになっていました。どの鍵盤を押せば、どの音が出る、という部分の自信が揺らぐとでもいいましょうか。


そんな孤独の迷いの中にいるとき、ふと、友人がアドバイスをしてくれました。


「正木さん、酒ですよ。こういう時は、酒の勢いで行きましょう。(笑い)一発、決めてください」


酒だろうが、何だろうが、頼れるものはどんなものでも頼るしかありません。私は、友人のありがたい言葉にすがり付こうと決めました。


非情なもので、演奏の時間は必ず訪れます。


私は、お酒を注いでいただいた盃を一気に空け、演奏へと向かいました。


ピアノの前に座り、最初のタッチに神経を集中します。


演奏を始めました。


心境は完全に『無』です。


そして、一曲が終わりました。演奏は無事、うまくいき、ありがたいことに、会場はスタンディングオベーションで反応を返してくださいました。


式典後は、謝罪行脚です。ですが、声をかけさせていただいた皆さま、先ほどと同じように、励まし、ハグ、「結構、音、外しましたね」といった笑いで対応してくださるのです。





この失敗体験は、自分にとってはとてもつらいものでした。


ですが同時に、性格的に、自尊心の上にあぐらをかくところのある自分を、潜在意識レベルで変化させるほど、大きな体験だったのではないか?


今、振り返ってみるとそう感じてしまいます。


この大恥を境目として、奇妙な変化が起こり始めたのです。


・人から「変わりましたね」と言われるようになる。

・大きな仕事を任せてもらえるようになる。

・周囲の人の自分への接し方が変わる。

・それまでよりも深い人間関係を築けるようになる。



うまく説明できないのですが、大恥をかいたことで、自分の中のメンタルブロックのようなものが崩れ、その影響で、プラスの結果が生じているように思えるのです。


予期せぬ変化です。



あなたはこれまでの人生を振り返ってみて、人前で大恥をかいた経験はありますか。


もし、なかったとすれば、あまり、頑なにそれを避けようとするのではなく


「一度くらい経験しておくのもいいか」


くらいの考えで、多少強引にでも、やりたいことをやってみると、思わぬ形で自己革新につながるかもしれません。


長くなってしまいました。お読みいただき、ありがとうございました。

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