「自分に向いてる」からその仕事を選ぶの?
年齢的なことなのか、フリーランスと言う働き方だからか、お客さま宅で進路や就職の相談を受けることが増えてきました。
音楽関係に進みたいと言う相談もあれば、大学か専門学校か、そもそもどんな仕事を選んだら良いかなど色々です。(本格的に調律師になりたいと言う相談はまだ無いです)
もしかしたら一生を左右するかもしれないことなので、答えはかなり慎重になります。それこそ、もしピアノ調律師になりたいと相談されたら自分はなんて答えるんだろう?とか。
そんなこともあり「仕事選び」ということについて考えるようになりました。特にだれもが通るであろう向き不向きということについてはよく考えます。
「調律師さんってやっぱり耳が良くないとなれないんですか?」「昔から手先が器用だったんですか?」
よく聞かれます。
職業紹介の本やサイトを見ると、ピアノ調律師の適性と言う項目には
「ひとつのことにこだわる性格」「集中力がある」
などと並んでいます。
この職業は離職率が高い
生活関連サービス業の3年以内での離職率は47%ほどらしいです。就職しても2人に1人は辞めてしまう。体感的にもそんな感じですね。
そもそも調律学校を卒業しても3割くらいは調律の仕事に就かないこと、さらに遡ると学校に入学しても卒業までに3割くらいは辞めてしまうことを考えると…調律師を目指して30人が学校に入学しても、就職して調律師として3年残る人は7人くらいということです。
そして学生の頃に卒業生から「10年経ったら3人残っていればいい方だよ」と言われたのを「まさか〜笑」と思っていたのですが、そのまさかでした。僕も同期が20数人いて、入学時は全員が調律師としてやっていくものだと当たり前に思っていましたが、現在業界に残っているのはたぶん自分1人だけです。
辞めていった人たちは適性がなかったんでしょうか?
いや、思い返してみても自分より遥かに「適性」に当てはまっている人の方が多いです。それで言うと僕は別に調律師の適性があるわけではない…でもこの仕事を始めてもう20年近くになります。
では適正ってなんなんだろう?周りを見ても自分的にも全くあてにならないものです。
適性と言うものについて考えた
続けている人に理由があるとすれば、この3つを持てた人が向いていると言えるのではないかと思います。
•その業界で自分の存在意義を見つけられる
ピアノ調律師に“成った”と言えるのはどのタイミングなのか。
ピアノ1台を調律できた時?就職した時?お客さんの家で調律をした時?検定に合格した時?独立した時?
実はどれでもなくて、その仕事を通して、誰かに唯一無二の価値を与えられる存在になった時がスタートラインなのではないでしょうか。そしてそこにたどり着いた人は辞め(られ)ない。
•仕事とお金が釣り合っている状態
仕事って結局どこまで行っても相手との「価値の交換」なわけで、どんな価値を与えられるかを考えるときにはお金のことを無視するわけにはいかないし、お金のことを考えることは誰に何を提供するかを考えることとイコールです。
お客さんや会社と等価で価値が交換できている働き方は無理がなく健全な状態と言えます。
•スタートラインに辿り着くまで続けられる
人によって何年かかるかは違えど、当然そういった状態に至るまで続ける必要があります。
それは努力なのか才能なのか環境なのか運なのか、人それぞれの何かしらの理由があるんだと思います。ちなみに僕は圧倒的に運が良かったです。
業界を続けている人の共通点
その仕事でこの3つを持ち得るかどうかは結果論で、やってみないとわからないものだと思います。
続けられる理由が人それぞれと書きましたが、業界で活躍している人に共通して感じるのは、ピアノ調律と自分の得意なことを掛け合わせていると言うこと。
調律と別の何かをうまく掛け合わせることで、唯一無二の価値を生み出せる。それが存在意義になります。
向き不向きよりも、これができるかどうかが遥かに大事なのではないかと思います。どれだけピアノ以外のことに興味を持って経験してきたか、それを強みとして掛け合わせられるかが、これからは今まで以上に大事になりそうです。
Creepy Nuts の「2 way nice guy」と言う曲の歌詞が本当に身に沁みます。
やめた人も充実している
調律師はその専門性から、夢や憧れを持って目指す人が多いです。
希望に溢れ就職して、自分の居場所を見つけられず数ヶ月で絶望してやめていくのをSNSで見かけるたびに、業界の人間としてなんとも言えない気持ちになります。
(ここは業界自体にも大きな問題があるのですが、それはまた別のお話)
でも調律師を辞めた知り合いを見ていると、数年経てばもれなく別の仕事や生き方にたどり着いてその場所で活き活きとしてるんですよね。想像ですが、調律で経験したことも次の仕事や生活とうまく掛け合わせているんだろうなと思います。
はじめる理由は何でも良いけれど
職業を選ぶ理由はなんでも良いんだと思います。
「好きなこと」でも「やってみたい」でも「かっこいいから」でも。
でもそれらは始めるきっかけに過ぎなくて、ずっと安定してエネルギーにするのは難しいし、「手段」だったはずの職業自体が「目的」になるのは危険です。やはり続けるには「誰かのためになっている」と言うこと以上の原動力は無くて、それが継続的なモチベーションになって、生きていくためのお金になります。
健康上の理由で調律師として外回りができなくなった友人がいて、途中からその会社内のピアノ販売業務に異動しました。彼は調律ができることと持ち前のコミュ力を活かして、すぐに販売でもかなりの結果を出しました。
きっと「調律師である」ということに囚われず、誰かへの価値を目的に動いたんだと思います。そして今は別業種の仕事をしてると言うのもおもしろいです。
これって別に調律師に限らない話
そうやって考えると、どんな仕事にも当てはまることなんですよね。別の職業の友人と話していても似たような答えが返ってきます。
適性が重要と思われがちな調律師と言う仕事ですがそんなことはないし、他のどの職業も同じ。「適性」は仕事を選ぶ理由にならないし、諦める理由にもならないと思います。
自分で思っていた通りに調律師に成った人は偶然たどり着いただけで、辞めて他の仕事に就いた人は調律師が通り道だっただけで、僕も調律師がゴールなのかはわかりません。
そんなことを考えていると友人からたまたま「この絵本、好きだと思う」と勧められたヨシタケシンスケさんの新刊を読んでビックリしました。
いや、ここまで長々と書いたこと、全部これに描いてあるじゃん。
しかもわかりやすく、ユーモアたっぷりに。
もちろんこどものうちに読んで欲しいし、進路を考えている人や長年仕事をしている人、だれが読んでもなにかを感じる本だと思います。
これから仕事について相談されたら、黙ってこの本を薦めよう。
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