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濱口瑛士の書いたイラスト

濱口瑛士

濱口瑛士(はまぐち・えいし)
少年画家。2002年東京都世田谷区生まれ。「異才発掘プロジェクトROCKET」第1期スカラー候補生。3歳頃から絵を描き始め、物語を作ることも得意。
2015年に初の作品集『黒板に描けなかった夢~12歳、学校からはみ出した少年画家の内なる世界』(ブックマン社)、2017年には2作目の作品集『書くこと と 描くこと』(ブックマン社)を出版。

2018年6月には初めての絵本『ダビッコラと宇宙へ』を雑誌MOE(白泉社)にて発表し、11月に単行本として刊行された。同年出版の赤木かん子・著『ともだちって どんなひと?』(埼玉福祉会)では、挿絵を描いている。
公式サイト「濱口瑛士の世界」(別ウィンドウで開く)

画像 ttps://rocket.tokyo/seminer_event/otherinfo/2019/06/18135359/9498/


浜口玲士


高い山と、くぼんだ谷、その僅かな平地に人が住む地球の未来


われわれは、そのどの辺りに棲んでいるのでしょうか。

日本の国土総面積は約377,900平方キロメートル。総人口の約36.4%が東京都、神奈川県、大阪府、愛知県、埼玉県に集中している。その首都東京に10.6パーセントが集中しているという超過密都市です。それら三圏域は国土面積のわずか2%であり、「超高齢化」は大都市、東京・神奈川・千葉・埼玉)でより高度化していることが統計で判ります。

そんな数字をながめていると、世界の富豪が寡占している資金額「ガーファ」(無駄に広い占有地)などが所有している所持金と、よく似ていて、その住む有効面積が、市民にとっていかに狭いかが、よく理解できます。

また都会に人口集中する度合いが10.6パーセントや、そのトータルとして、地方都市の集中度が、その全国区選挙の低投票率に近いなど、根拠もないのに、近似しているという面白い結果になってます。といっても数字ですから、その都心の電車、地下鉄、バス、車、そして駅前歩道を歩いていて、国土の二パーセント内を歩いているという実感はないでしょう。

なぜそうなのか、という問いに、あらゆるユークリッド定理を動員しても、そんな解は出ませんが、バランスが極端に悪い、ということはよくわかります。なぜなんでしょう。

もともと「不平等に宇宙は出来ている」としか答えられません。そんな回答を提示したところで、セリフを覚えられない三文役者の不可出番程度にしか、見られないでしょう。

そんな悔しい思いを常に抱いているのが、その僅か狭小地にすんでいる小市民であり、その二パーセント内を、押し合い圧し合い歩く様は、ある人によっては地獄図のように映ったり、空くじで大金を当ては人は天国に見えたでしょう。

この上と下の境界度は、宇宙観測値として変えようがないというのは、かの「ホーキング」博士がいっていた、掘った穴がマイナス、そこから掘り出した砂の山がプラスで、宇宙は出来ている、といいました。
これほど判りやすい定理は、どこにもなくて小学生でも理解できます。

その定理からすると、掘られた砂の山というのは、その昔からため込んだ金山とか、仮想時価総額風船系の「ガーファ」など、それに相当している訳で、定理に適っている。
でそれを、それを横目で見ながら悔恨の思いでスタートアップし起死回生を画策、淡々と狙う蛇足集団は、その仮想の山を目指して邁進しているというメタバースなんでしょう。

そうであるなら可視化観測で見えている全宇宙は、そのプラマイゼロ、といえ定理で括られるわけでして、有り余る金山というのは、「貧者の一灯」からむしり取ったコンマ一グラムの金の粒だった、という「息慮凝心」(そくりょぎようしん)を思うべな。

そんな複雑系を体現した人物がいたので、この紙面で紹介したい。知る人ぞ知る「濱口瑛士」くんであり、今では、国内屈指の画家であり、その容姿端麗イケメンが嵩じて「モデル」として活躍の場を広げている。

■彼は学校には通わなくなっていた。不登校となった要因の一つは、

「ディスレクシア」

という学習障害。人によって症状が異なり、瑛士くんの場合は、本を声に出して読んだり、文字を書いたりすることが思うようにできない。
作文やレポートが壁に張り出された時には、「字が汚い」「ひらがなしか書けない」とからかわれることもあった。そのため学校では「お前みたいに勉強ができないやつは、ホームレスになるんだ」などといわれのないいじめを受けるようになり、小学4~5年生の頃には学校から足が遠のいた。
瑛士くんの母・園子(そのこ)さんは当時、瑛士くんから学校での状況を聞きながらも「親として、“子どもが学校をリタイアする”ことを認めることができなかった」と言う。しかし、ついに通学時に腹痛などの身体症状が現れるようになり、身体を壊してまで通う必要はないと思い至る。そうして彼の「学校に通いたくない」という意思を受け入れた。 文中抜粋

という、幼いころより「マイノリティー」として世間から、過酷な洗礼を受けていたのでした。

そんな弱者救済的な記事を書くと、それに反発する人も当然いて、度を超すと炎上したりする。

昨日見たNHK報道ドキュメンタリー「嘘と政治と民主主義 ―アメリカ 議会乱入事件の深層―前編“トランプの共和党”へ」、など見た感想は、まったくその「バランス不均衡」を被った側(トランプ)の仕返し劇であり、プラスマイナスのゼロ支点を、自ら力で回復するという強欲さを、党内を囲んで仕掛けたというアメリカの恥部を晒してしまった、というギリシア古典劇を演じたようなものでた。
それがまた世界「パンデミック」と絡んで危うい民主主義を露呈したという、まさにエキサイティングなドキュメントを、見せてくれたのです。

2023年01月11日 記事

「異才発掘プロジェクト ROCKET」

「異才発掘プロジェクト ROCKET」学校だけが居場所じゃない!16歳の不登校画家が見つけた自分らしい学びの形 濱口瑛士 日本財団 2019.02.12 
学校になじめない子どもたちを外の世界へと連れ出したプロジェクト
「異才発掘プロジェクト ROCKET」東京大学先端科学技術研究センター

学校だけが学ぶ場所ではない。外に出て、自分の頭で考え、肌で感じるという学びの形
子どもたちに一人ひとりに何が必要かを考えて、遠くから見守ることも大人の役目
取材:日本財団ジャーナル編集部

障害を受け止め、16歳にして「絵本の出版」という夢を実現!まずは瑛士くんの最近の活躍ぶりを紹介したい。物心ついた頃から絵を描くことが好きだったという彼の幼い頃からの夢は絵本作家になること。独自の世界観と緻密な描写は、子どもが描いたものとは思えないものばかりだ。
写真


濱口瑛士


瑛士くんが12歳の時に描いた作品『mono frontier ~目を凝らすべし~』12歳にして初の作品集発表の機会を得て、15歳で中学生時代の絵をまとめた2冊目を出版。さらに16歳となる2018年に初めての絵本『ダビッコラと宇宙へ』を発表した。早くも夢を叶えてしまった、“スーパー16歳”と言っても過言ではない。
画像:絵本の表紙左から初めて手がけた絵本『ダビッコラと宇宙へ』と、挿絵を描いた絵本『ともだちってどんなひと?』小学生にして作品を発表し始めた瑛士くん。この時、彼は学校には通わなくなっていた。
不登校となった要因の一つは、「ディスレクシア」という学習障害。人によって症状が異なり、瑛士くんの場合は、本を声に出して読んだり、文字を書いたりすることが思うようにできない。

作文やレポートが壁に張り出された時には、「字が汚い」「ひらがなしか書けない」とからかわれることもあった。そのため学校では「お前みたいに勉強ができないやつは、ホームレスになるんだ」などといわれのないいじめを受けるようになり、小学4~5年生の頃には学校から足が遠のいた。
瑛士くんの母・園子(そのこ)さんは当時、瑛士くんから学校での状況を聞きながらも「親として、“子どもが学校をリタイアする”ことを認めることができなかった」と言う。しかし、ついに通学時に腹痛などの身体症状が現れるようになり、身体を壊してまで通う必要はないと思い至る。そうして彼の「学校に通いたくない」という意思を受け入れた。
写真母親と対話しながらインタビューに答える瑛士くん“実践こそが学び”。人生を変えた、ROCKETとの出会い不登校であったことについて「親が許してくれたとしても、子どもの仕事(勉強)をしていないことに罪悪感はあったんです」と瑛士くんは話す。そんな彼が前を向くきっかけとなったのが、「異才発掘プロジェクト ROCKET」(以下、ROCKET)だった。
ROCKETは、日本財団と東京大学先端科学技術研究センターが2014年に始めたプロジェクト。突出した能力はあるものの不登校傾向にある小・中学生の継続的な学習保障や生活をサポートし、将来の日本をリードする若者を支援する取り組みだ。

ROCKETの説明会に参加した園子さんは、ここでなら瑛士くんを受け止めてくれるかもしれないと期待を覚えた。しかし、想像以上に参加者が多く、周りの親たちが自分の子どもを猛アピールする姿を見て、「瑛士が選ばれるのなんて無理…」と不安を感じたという。そんな話を母親から家で打ち明けられた瑛士くん。それでもROCKETの活動を知り、もっといろんな世界を見てみたいという思いを抱いていた彼に「ROCKETに入りたい。これだけ辛い思いをしているんだから、絶対に受かるはず」と、どこからともなく湧く自信があった。

写真当時を笑顔で振り返る母・園子さんその自信は現実となる。瑛士くんが書類選考で提出した絵がROCKETのスタッフの目に留まったのだ。その画力に惹かれたプロジェクトマネージャーである日本財団職員の「この絵を描いた子に会ってみたい」という思いから、瑛士くんは面接へと進んでいった。
「面接でいじめのことを話したら『友だちは無理に作らなくていい。自分が好きなことを続けていればこれから自然と仲間ができていくはず』と言われ、すごく安心できたのを覚えています」
そして面接を無事に通過し、瑛士くんは第1期スカラー候補生として新たなスタートを切った。面接で言われたように、ROCKETでは多くの「仲間」と出会うことできたと言う。

ROCKETでは、科学技術や芸術、スポーツなどさまざまなジャンルの分野で活躍するトップランナーによる講義やディスカッション、料理や工作など身近なものを題材にした実践型プログラムを提供している。
時には海外にも行く。これは一般的な修学旅行のようにすべて段取りが組まれたものではない。例えば、現地では目的地のみ聞かされ、そのルートや手段もその場で自分たちが決めるといった感じだ。ROCKETの仲間たちはストレートに発言をぶつけ合うため、いさかいが起こることは日常茶飯事。
「どのタクシーに乗るかを決めるだけでもケンカになります。でも何台か乗ってみることで、どれが安いか、どんな乗り心地かがわかり、次に選ぶ時の選択基準を持つことができる。旅はそういったチャレンジの連続で、実践こそが学びだと気づきました」と瑛士くんは話す。

写真:ROCKET研修旅行でアウシュビッツ収容所を見学中の瑛士くんを含む

子どもたちと先生ROCKET研修旅行でポーランドのアウシュビッツ収容所を訪問(2016年)また、「先生たちも“子どもたちが困らないように手を差し伸べる”ことがほぼない」のだとか。

以前、目的地に向かうタクシーに1人だけ乗れなかった時、ROCKETの先生から「瑛士は歩いておいで!」と指示されたそう。
一般的な教育では、大人が1人残って次のタクシーを待つだろう。瑛士くん自身も、「なんで自分だけ!」と最初は憤りを覚えたが、歩いていると、車では見逃していただろう街並みを見ることができ、どんどん想像力が湧いてきた。
この時、「ROCKETの先生たちは、手を差し伸べずとも一人ひとりに何が必要かを考えて、遠くから見ていてくれるんだ」と感じたそうだ。
さらに瑛士くんはこう語る。「これまでは知識があればいいと思っていたんです。でも本で学んで知ったつもりになっているだけだったんです。
例えるなら、りんごを食べずに味を知った気になっていたようなもの。自分の目で世界を見て、自分の体を使って挑戦することで初めてわかる。その実践こそが勉強なんです」と。

写真研修先での思い出を語る瑛士くん絵に変化を与えた、トップランナーからの刺激。そして次のステップ、高校へ瑛士くんの絵は、日々変化している。それまでは黒いペンで1日何百枚も書いていたが、色づけを始めたのは、ROCKETを通して“新しいことに挑戦すること”が大切だと感じたからだと話す。
「トップランナー講義で一流の方々が日々努力や挑戦している話を聞いて、楽しく落書きを続けるのではなく、挑戦しながら作品として仕上げることに意味があると思うようになりました」

絵画瑛士くんが14歳の時に描いた作品『貧しい人は幸いである』絵画同じく14歳の時に描いた作品『euphoria』。瑛士くんはROCKETの活動をきっかけにさまざまなイベントや個展を開くようになった。絵本へのチャレンジも大きな刺激になった。これまでは1枚描くごとに画風が変化しても問題はなかったが、絵本の場合はストーリーがあるからそうはいかない。これに関してもトップランナーのひたむきに努力してきた姿勢が刺激となって、逃げずに向きあい、作品として完成したという。

学校以外での学びや気づきは、今の瑛士くんに大きな影響を与えている。
2018年に義務教育を終えた瑛士くんは、春から通信制高校へ進学をしたのだ。学校がすべてと思っていた小学校時代は学校がつらかったが、ROCKETを通じて、「学校だけが居場所じゃない」ことに気づいたからこそ、高校入学を決めることができたという。「今の自分ならスクーリング(短期間の教室での授業)も大丈夫と思えて。でも、絵本の制作が忙しいのを理由に、まだ通っていません…。でもそろそろ本当に行かないと!」と笑いながら話す。
園子さんは、親も学校を“あきらめる勇気”が必要だと話す。「学校の成績だけがすべてじゃない。そこを一度あきらめたことで、私たち親子はより良い関係を築くことができたんです。この子がいてくれる、それだけで十分なんです」と瑛士くんに微笑みかける。
撮影:十河英三郎

〈プロフィール〉濱口瑛士(はまぐち・えいし)少年画家。
2002年東京都世田谷区生まれ。「異才発掘プロジェクトROCKET」第1期スカラー候補生。3歳頃から絵を描き始め、物語を作ることも得意。2015年に初の作品集『黒板に描けなかった夢~12歳、学校からはみ出した少年画家の内なる世界』(ブックマン社)、2017年には2作目の作品集『書くこと と 描くこと』(ブックマン社)を出版。2018年6月には初めての絵本『ダビッコラと宇宙へ』を雑誌MOE(白泉社)にて発表し、11月に単行本として刊行された。同年出版の赤木かん子・著『ともだちって どんなひと?』(埼玉福祉会)では、挿絵を描いている。公式サイト「濱口瑛士の世界」(別ウィンドウで開く)
異才発掘プロジェクト ROCKET 東京大学安田講堂で行われた3期生オープニングセレモニーでの集合写真(2016年12月)日本財団と東京大学先端科学技術研究センター(以下、先端研)は、異才を発掘し、継続的なサポートを提供することで、将来の日本をリードしイノベーションをもたらす人材を養成することを目指し、2014年12月に「異才発掘プロジェクト ROCKET(Room Of Children with Kokorozashi and Extraordinary Talents)」を始動しました。
異才発掘プロジェクト ROCKETウェブサイト(外部リンク)
※当事業は2021年度をもちまして支援を終了いたしました。

2023年01月11日

ROCKET 中邑賢龍 東京大学先端科学教授

異才発掘プロジェクト ROCKET 中邑賢龍 

2020年07月27日(月)https://utf.u-tokyo.ac.jp/project/person/598

中邑賢龍 教授 東京大学先端科学技術研究センター 人間支援工学分野

この教員に関連する東京大学基金プロジェクト 異才発掘プロジェクトROCKET基金

―2014年に中邑先生が立ち上げ、取り組み続けられている「異才発掘プロジェクトROCKET」の概要について教えてください。

 国は東京大学に、“イノベーティブな人材”の養成を期待しています。だけど、私はこんなに“いい学生”が集まる場所で、世界が驚くようなイノベーションは起きづらいと思うのです。無駄かもしれないけど自分がやりたいことをやりとおす、それを邪魔されたくないから空気など読まないとか、そういう“ちょっと変わった”学生をもっとこの大学の中に増やしていくべき。しかし、今の日本の学校教育の中で、そういう子供たちは潰されています。評価や失敗をいっさい気にせず、自分が決めた何かを一心不乱にやり続けられる力。私はそれってものすごい“才能”だと思うのです。では、そういった才能を持つ子供たちはどこにいるのかと考えたときに、引きこもっていたり、不登校になっていたり、いわゆる“敷かれたレール”から飛び降りた子供たちに思い至りました。そこにフォーカスしてみようと。そんな彼らに今の学校にはできない教育の場を提供したいと考え、東京大学と日本財団さんの協力を得てスタートしたのが「異才発掘プロジェクトROCKET」です。

 2014年から現在までに、小・中・高生125名がスカラー候補生としてROCKETに参加しています。引きこもりや不登校の子たちは、平気そうに見えても、心の奥では「僕、友だちがいない」とか「知識が偏っている」など悩んでいる。では、ROCKETで彼らに何を教えているかというと、まず「君らは、そのままでいいんだ」ということです。
 例えば、生のカニやエビ、イカを買ってきて、解剖して食せという授業をします。とにかく好きなようにやらせます。午前に始めて、12時過ぎても調理は終わらない。みんなキャーキャー言いながら食材と格闘して、14時くらいになってやっと食べられる。これが学校の家庭科の授業なら「このくらいの時間で、こうできるのが正解」となりますが、そんなことはどうでもよくて、食べられればいいのです。逆に自由にやらせた結果、「すごいね。お前君、どうつくったんだ?」っていうものが出てくる場合もあります。時間や教科書という枠を取っ払ったからこそ面白い。そういうことが体感できる授業をやっているわけです。
 そうして、「僕はこのままでいいんだ」と思ってくれるのが第一歩。人と違っていていいんだ、と。そもそもROCKETの活動ポリシーは、時間制限なし、教科書なし、目的なし。ここは子供たちが自由に活動できる場で、お金を出してくれる場で、好きなところに連れて行ってくれる場です。だけど、本気でやりたいことは本気でリクエストしなさいと。例えば超電導に詳しい子供が来たとしても「すごいね」と言うだけ。「教えないから、自分で勉強しろよ」って(笑)。まあ、たいていは大人のレベルからすると大したことはないのです。なので、ときには各界の著名なトップランナーの話を聞かせたり、あるいは現場で何十年も働いている、その道のプロであるおじさんやおばさんのところへ連れて行き、一緒に働かせたりもします。本気の大人ってやっぱりすごいという側面を理解させるためです。いい気になるなと。そうやって挑発すると食ってかかってくる子もいます。そういう子は放っておけばいいのです。挑発されてこの野郎と奮起し、すごいものを持ってくるケースもある。口先だけの知識なんて知識じゃない。徹底的にリアリティを追求させていくのが、ROCKETの基本といえます。

―ROCKETでは、ほかにも子供たちにリアリティを追求させるさまざまな授業をなさっていますね。もう少し事例を教えていただけますか。 例えば、よく旅をさせます。東京駅に集合させ、鈍行列車だけを使い、スマホは持たせず、1日1000円の予算で、東のゴールは北海道の稚内、西のゴールは鹿児島の枕崎へ。
「6日以内にここに戻って来い。俺は待っているから。日本が失ったものを見つけてこい」と伝えたうえで。へとへとになって目的地に辿り着いて「やった! 着いたぞ」と、いろんなものを写真に撮ったり、本気で探して帰ってくる。ちなみに、帰りは飛行機です。帰ってきた子たちに「もう1回行ってこい」って言うと、「また列車で? あんな遠いところはもう嫌です」と。「そうか、遠かったか。それが答えだ」って。こういうリアリティこそが、実は重要なのに、今の学校教育の中では教えられないんですね。

東大生と一緒に、30駅ある山手線の駅のホームの長さを、長い順から並べなさいという課題を出したことがあります。1つ目のチームは、ネットや国会図書館などで調べる、2つ目のチームはGPSと計算式を使って算出する、3つ目のチームは現場を回り、足で測るということになりました。
最後のチームは、山手線の電車1編成の長さを調べ、前後の停止線からホームの両端までを足幅で測るというやり方です。1つ目のチームは、ホームの長さの情報がどこにも公開されていないことで失格。2つ目のチームは、ビルの谷間にあるホームの長さがGPSで補足できず失格。両方とも効率重視で臨んだ結果です。最終的に、3つ目のチームが一番近い値を出しました。ここからまた、面白いことが起こるわけです。我々が入手したある駅のホームの長さを示したら「先生、それ違う」と。「それは山手線の電車の一編成の長さと同じだよ。前にも後ろにもまだホームがあったから、間違ってる」と。これが目で確かめた人間の強さですよね。こういった教育が、未来にイノベーションを起こす可能性を持つ子供たちにとって必要だと思うのです。

 言うは易しですが、もちろん実際の授業は大変ですよ。人の話を聞かない、好きなことしかしない、一丸となってくれない子たちですから。例えば、ホリエモン(堀江貴文)に講義をしてもらっても、「このおじさん、誰?」って出て行くし。
 養老孟司先生の講義なんて、みんな質問しまくりで、養老先生が「俺にしゃべらせろ!」って言うくらい(笑)。でも、そこで注意をしたらROCKETらしくない。時には、「先生、気分を変えるために部屋を移しましょう」と、講師と一緒に教室を移動する。そうすると、聞きたい子だけがついてくる。何が面白いかというと、置いていかれた子たちもついてくるんですよ。「君たち、スマホ触るのに忙しいんだから、いいよいいよ」って言うと「いや、聞きたいです」って。子供たちが頭を下げて来させる方法を考えればいいのです。ROCKETでは、そういうスタイルで授業をしています。

―そもそも中邑先生は、どんな考え、プロセスを経て、このプロジェクトを立ち上げられたのでしょうか。 私は、最先端のテクノロジーを活用した人間支援工学の研究を専門としてきました。障がいの種類や程度によりますが、標準的な人間に近づけるための地道な訓練は時間の無駄だと思っています。なぜなら歩けない人は電動車椅子に乗ればいいし、文字が書けない人はワープロを使えばいいのです。手を使ってご飯が食べられて、足で歩けて走れて、しゃべれて、記憶ができて、みんなそれができるのが当たり前だと思っていますが、実は人にはそれぞれデコボコがある。
 私も含め、いろいろなデコボコを隠しながら、ごまかしながら生きているのです。例えば、東京大学の先生の中にも右と左を瞬時に識別するのが苦手な人が結構いるはずです。でもそれは、たまたま生活に支障がないから問題なく生きていられるだけ。一部の子供たちは、字が書けないから、書く訓練ばかりやらされています。それで心が折れていく。そんなことよりも本当にやりたいことがあるのに。テクノロジーを活用すれば、その問題は簡単に解消できるにもかかわらず。
 人間支援工学の研究を続けていると、さまざまな生きづらい問題を抱えた人たちと出会います。ここで大きな声では言えない、訳あり人生の持ち主たちと。そういう人たちと一緒に活動をしていると、何がこの人たちの人生を狂わせたのだろう?と考えるわけです。多くの場合、「周囲の人と同じようにできるようになれ、なれ、なれ!」と言われ続けたことが原因だと思います。だけど、彼らはそうはなりたくなかったわけですよ。勉強はできないけどユニークな才能があったし、それだけを追求する強い意志があったし、そもそも人とは違っていたのです。
 もちろん、今の学校教育を一方的に否定しているわけではありません。学校で優秀と認められる人とは違った感性や才能を持った子供たちは確実にいます。そんな子供たちを受け入れられる、今はない教育の場所をつくり、両方をうまく回していく。とにかく周囲の人と違っていてもいい、僕は僕で好きなように生きればいいんだと心から思えるような。そして、いつか誰もがそれが当たり前、普通だと感じられる世の中をつくりたい。これが、ROCKETを立ち上げた根底にある願いです。
 ROCKETに集った子供たちには、みんな可能性があります。もちろん、いろんなレベルの子がいます。ROCKETの輪に入ってきて、自分を誇張してみても、こいつらには敵わないと考える子も出てきます。そういう子は、自分はまじめに勉強したほうがいいと考えて学校に戻り、普通に通うようになる。それでいいのだと思います。また、参加者には「わがままになるな、生意気になれ」と常に伝えています。好きなことを思う存分やろう。ただし、自分のやったことは自分で責任は取れと。そのうえで、彼らが本気でやりたいことがあって、「ここで今、躓いているから、教えてくれよ、助けてくれよ」と頼ってきたときには助けてあげる。冒頭でもお話ししたように、私たちの活動ポリシーは、時間制限なし、教科書なし、目的なし。ゆえに、彼らの本気に寄り添いながらも、枠やレールはほとんどつくりません。それを設定すると、元の木阿弥になってしまいますからね。
―プロジェクトの成果についてもよく聞かれていると思います。また、中邑先生が今後取り組んでいかれたい方向性、夢などについても教えていただけますか。 よく「中邑先生、異才は育ちましたか?」と聞かれます。「そんなのわかりません」が答えなのですけど。誰かが新たな何かを立ち上げて、成し遂げて、それから数十年経って結果が出るわけで。そこでやっと、「あの人は異才でしたね」と周囲から認められる。私は子供を育てること以上に、世の中の風潮を変えたいのです。人とは違うけど、ユニークで面白い子供たちを面白がる世の中が醸成されたときに初めて、イノベーティブな社会が実現できると。だから成果はいつ出るかと聞かれても、「さあ」っていうとぼけた返事しかできないのです。ただし、ROCKETでやろうとしていることは、絶対に正しいと断言できますし、未来の社会にとって確実に必要なことであると確信しています。
 今、学校では「多様性理解を」と言っていますが、ほとんどが、障がいを、人種を、LGBTを理解しよう、みたいな方向性ですよね。でも、その前に、隣にいる子供を理解しなさいと言いたい。みんな、性格も違い趣味も違う。みんなが同じである必要はないのだと。ただ、1つの学校にその任を負わせるのは酷ですから、私は、子供たちが2つ自分の学校を持てるようにしてあげたい。それが、異なる学びの居場所を全国各地につくる「School of Nippon構想」です。子供たちに年間10枚の「お休み券」を配り、これを使って興味がある授業を行っている自治体に出かけていく。例えば、火山にものすごく興味がある子供がいたとします。桜島のある鹿児島市が火山の授業を主催する。1人リュックを担いで、小学5年生が鹿児島の小学校に行って1週間授業を受ける。そして毎年、火山のことだけに1週間集中できる機会と時間を楽しむ。まだ構想段階ですが、そんな場所を全国につくっていきたいと本気で思っています。

 ROCKETの活動が継続でき、広がっていったのは、東京大学のおかげだと感謝しています。そして、この大学でこのプロジェクトをやることに大きな意味があると思っています。私は今、“特例教授”という職務を選択しており、国からの交付金、研究費がつかない立場にあります。ですので、当然、ROCKETの活動は寄付など、外部資金で賄うことになります。これまで繰り返しお話してきましたとおり、私の夢は、子供たちが追い詰められずに生きられる社会の実現です。人生を歩むうえで、誰しも適度な苦労を経験するとは思いますが、将来を担う子供たちが、社会から孤立をしなくていい人生が送れる環境を整えていきたい。このプロジェクトは成果が見えづらいこともあり、今後もまだまだ新しい挑戦、取り組みが必要となってくることは間違いありません。ユニークで才能もあるのに生きづらさに悩む子供たちにとって、希望の光となるような活動を継続していくために、自由な使い道を選べる寄付というご支援を必要としています。ぜひ、「異才発掘プロジェクトROCKET基金」の趣旨をご理解いただき、一人でも多くの方々からご支援をいただけますと幸いです。

異才発掘プロジェクトROCKET基金異才発掘プロジェクトROCKET
東京大学 先端科学技術研究センター
人間支援工学分野 中邑研究室取材・文:菊池 徳行(株式会社ハイキックス)※肩書きはインタビュー当時のものです。



01.1.11 ROCKET


構成編集#つしま昇

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