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演じることの先にあるもの

   あの俳優は、なぜ怒っているのか、いや、笑っているのか、いや、泣いているのかもしれない、それとも・・・。ドラマや映画、舞台を観ていると、俳優の表情とストーリーの内容に食い違いを感じることがある。演技のどこかに齟齬があって観る者に物語がうまく伝わらない。何が原因でそんな印象を与えているのだろう。多くの場合、その要因として挙げられるのが、俳優の心と体がうまく一致していない点である。この二つが密接に関係しあっていることを見逃しているのだ。一致不完全なままで演技をした場合、緊張が高まり、セリフのテンポが早くなり、無意味に声を張ったり、表情を作ったり、おおげさ、ヒステリック、らしくふるまい、装い、模倣したりする。これらは俳優自身が自意識と戦っている姿に他ならない。戦いながら観客との理解の一致を求めているのだ。俳優本来の「物語を伝える」役割から考えると、個人的な俳優の事情の方が前に晒されているのである。しかし「それが演技なんだ」と習わしのように野放しにされるのは避けなければならない。良質な稽古とは、最初は頭で理解しながら取り組み、徐々にそこから距離を置き、行動と感情の整合性を丹念に探り、最後には思考が遠のいてゆく。それが良質な稽古である。心と体が一致した俳優は、幕が開けば途切れることのない感情が彼を優先的に引っ張り続けるのである。そしてその先には「セリフと体がひとりでに動いた」「何をどう演じたのかまるで覚えていない」「時間の経過を感じなかった」などの経験談が示すように、無意識という領域に至る。稽古を繰り返すことは無意識に迫ること。その無意識の世界では、もう一人のあなたが手を広げて、貴方を待っているのである。優れた演技の到達点。

 

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