飽きに寛容でありたい話
わたし基本的に三日坊主なんですよね。
でもべつに三日坊主のじぶんは嫌いじゃない。
(自己肯定に定評があります。)
でも一応目標は決めてる。
目的は特に無いんだけど。
強いて言えば書くことの目的は生きること、かな。
こうなりたい はないけど、
こうしたい はある。
このnoteは毎日書くっていう目標を決めたので毎日書いてます。
三日坊主になるかなっておもったら1週間続きました。
でも別に好きで書いてるので明日書く気分じゃなくなったらやめるとおもいます。
それだったら毎日っていう目標を決める意味あるのかなっていう気もするけど、目標にしないとまず書こうかなって思わないから。
自分が楽しめるためにも多少の強制力が必要で。
家事は、しはじめるまでがおっくうだけどしはじめたらちょっと生きるのが楽しいのと同じ感じ。
いまは書くのがたのしいから書いてる。
書きたい題材もまだちょいちょいあるので。それを文章にするのも楽しみ。
でも毎日書くって決めたから無理やりにでも書く。という状態になったら精神衛生上サイアクだし、自分も、おそらく他の人も読んでて全然面白くないだろうから、そうなったらたぶんすっぱりやめます。
それが仕事の人とかはそういうときでも書かなきゃいけないしさらにそれを悟られないように書かなきゃいけないからすごいなぁとおもう。まぁ仕事にしてる人でもそういう雰囲気、だいたいわかるけど。がんばれ。
わたしは仕事ではないし、楽しいことは他にもきっとたくさんあるし、生きることはいろんなところでできるからね。
三日坊主って、継続はできないにしろ、まずそれを3日でも実践したってことで経験0日よりもたくさんのことを知れるし、それをいろんなところで実践していけば継続できる何かが見つかるかもしれない。もし全部継続できなくても、もしかしたら三日坊主のプロになれるかもしれない!それってもしかしたらめちゃくちゃ面白いのでは?
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