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6.25 住宅デー

新しい家を建てたので、古い家を取り壊すことになった。
大きなクレーンが屋根の方から一息に二階の端を潰した時、小学二年生の颯は来なければよかったと後悔した。

「おお、すごいな。圧巻だ」
颯の手を引く父親は、笑顔で感嘆の声を洩らした。
母親は乳飲み子の妹と一緒に新居に残っている。颯は妹の世話ばかりにかまけている母親への抗議の意味も込めて、無理矢理父についてきた。

「あそこは寝室だな。中身が無いと広く見えるなあ」

父親が颯の手を引いて建物に近づこうとするのを、作業員が止めた。
正直なところ、止めてくれて良かったと思う。
近づいたりしたら、心がどうかなってしまいそうだったのだ。

「な、颯。どうだ、すごいだろう」
父親が傍らに立ち手をつないでいる颯を見て驚いた顔をした。
「おどぅざんは、びどいやづだ…っ」
颯の目からは滝のように涙が溢れ出している。そして突然暴れ出した。
恥ずかしいのと、情けないのと、もうこんな薄情なやつと仲良くしてやるものかという気持ちで父の手を振り払おうとした颯だったが、大人の力には敵わずますます癇癪を起こした。
「どうした。お前が付いてくるって言ったんだろ?」
鼻息は荒く、口は強い意思で引き結ばれている。
「ばがっ、ばがー、やめろーっ」
ついにクレーンは、家の東側の角をそっくり潰してしまった。
颯は耐えきれずにその場に崩れ落ちて泣いた。

生まれ育った家。まだ妹もおらず、両親やよく遊びにくる祖父母に可愛がられた家。
卒園式の日にちらし寿司を食べた。
入学式が待ちきれず何度もランドセルを背負った。
颯にとっては一生のような毎日の断片が、理不尽な力に破壊されているような気がした。

土の上にうずくまる颯の背に父親の大きな手のひらが触れ、颯の背を撫でた。
「颯、泣くな。お父さんたちは新しいステージに向かったんだ。そしてここは、誰かの新しい家になる」
誰かの家になることも、許せないような気がして、颯はより一層泣き声を大きくした。

「なぁ、想い出はどこにあると思う」
颯は泣きながら、家だと答えた。
自分が帰る場所、温かな家に想い出が詰まっている。
だからこんなに寂しいのだと。
「違うよ、颯。想い出は、人の中にあるんだ。颯のなかに全部残ってる。何も無くなっちゃいないよ」

父親は颯を抱き上げると、そのまま家の方を向かせた。
「僕たちが住んだ家だから、寂しいんだ。いくら新しい家があっても寂しいものは寂しいな。うん。だからこそ、ちゃんとありがとうって言うんだぞ。想い出をたくさんありがとうって」
颯は泣きすぎて熱を持った体で、たくさんのありがとうを伝えた。

こうして少年は、大人になっていく。颯は日々の幸せな光景を思い浮かべながら、何度も何度もありがとうと叫んだのだった。


6.25 住宅デー
#小説 #住宅デー #家 #JAM365 #日めくりノベル #引っ越し

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