見出し画像

6.28 貿易記念日

「取り引きをしようじゃないか」

隣国の商人がテーブルを挟んで、嗅いだことのない甘い香りの煙を吸っている。

バニラにも近いその香りは、人工的な嫌な残り香が壁の四隅に残るような甘味の贋作だ。

貿易商のミムラはカンミ国でしか作ることのできない、とても甘い砂糖の入った壺をそのテーブルの中央に置いた。

「…それは?」

隣国の商人も、薄々中身に気づいているのだろう。身体が前のめりになっている。

「カンミ国の特産品、とろける砂糖だよ」

落ち着かなげに視線を泳がせ、隣国の商人はよく煙の出る煙草の火を消した。

隣国の商人は生まれつき浅黒いのか、焼けているのか分からない毛むくじゃらの手を伸ばそうとした。
それをすかさずミムラが阻む。

「焦らないでくれ。僕は君にお中元を持ってきたわけじゃ無いんでね。これは一部さ。…僕が誰だか知っているなら、僕の望むことは分かるね」

もったいつけて美しい壺をくるくると回すと、それを隣国の商人の顔が追いかけていくのが面白い。

ミムラが少し笑ったのに気づいて、隣国の商人は椅子に深く腰掛け直して咳払いをした。

「分かっている。交換貿易が目的なんだろう?君は凄腕の貿易商だと聞いている」

平静を装おうとしているが、忙しなく動く指先が心の焦燥を映している。

「そう。僕の望みは、あなたたちカレー国の特産品、とろける辛い粉だ」

名前を出すだけで、ミムラの体に電流が流れたようだった。

カンミ国の人間はみな甘味に飽き飽きし、刺激を求めている。

ただ、スパイスの類はカンミ国では育たない。輸入に頼っているため、入ってくる量も少なく、国民の端々までは行き渡ることはなかった。

ミムラの夢は、甘味を求める国との交渉で半永久的に安定した辛味を手に入れるルートを作ることだった。

今まさに、スパイス界の最高峰と呼ばれるとろける辛い粉が手の届くところまで来ている。

ミムラは緊張を隠しながら、なんとか交渉を続けた。

交渉というのは、余裕のある者が圧倒的に有利なのだ。
手に汗握っても、決して冷や汗など流してはならない。

「これから、末永くよろしく頼むよ」

最後はとろける砂糖の壺を抱えた隣国の商人と握手で別れた。

交渉は成立し、カンミ国とカレー国の、とろける砂糖ととろける辛い粉の交換貿易が始まることとなった。

カンミ国王はミムラの功績を称えて、港のそばに彼の銅像を建てた。

千年経った今では甘味も塩味も辛味も好きに手に入る時代となり、その由来を知る者はほとんどいないが、海風の強いその場所に、今も砂糖壺を抱えたミムラの銅像が威風堂々とした様子で立っているのだそうだ。


6.28 貿易記念日
#小説 #貿易記念日 #交換 #甘味 #辛味 #JAM365 #日めくりノベル

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?