“ゆるさ”だけが「安全・安心」ではない

Community Summit Tokyo 2018というイベントで、登壇者の1人であるコルク佐渡島さんの5月発売の新著「we are lonely,but not alone 現代の孤独と接続可能な経済圏としてのコミュニティ」のゲラが配布されていた(一部かと思ったら全文だった)。

『宇宙兄弟』のファンコミュニティの話はなるほど感だらけだったし、『今日のコルク』で描かれた佐渡島さんを見てマンガでの自己紹介のパワーを思い知ったりもしたが、自分にいちばん響いたのは「3章 安全・安心とは何か?」に書かれた「人によって何を安全・安心と考えるかはずいぶん違う」という話

文中で説明された事例をそのまま引用する。

「甲子園を目指そうとしている野球部にとって、野球を遊びでやりたいから練習時間を減らそうと強く主張する人が入ってくると、安全・安心が脅かされる。
一方、野球は遊びでいいと思っている野球部に、甲子園を目指さずに野球をやる意味はないと強く主張する人が入ってくると、その場合も同じく、安全・安心が脅かされる」

ここの何に響いたかというと、「この2つの状況が」「この順番で」紹介されていたことだ。

(この原稿を読む前の自分が)安全・安心を語るなら後者(ゆるい野球部にマッチョな部員が入ると壊れる)のエピソードを使っただろうし、逆の状況である前者(マッチョな野球部にゆるい部員が入ると壊れる)も安全・安心の確保であると効果的に伝えたいのだとしたら順番を逆にしただろうと思う。

要するに、これまでの自分の常識だと、この2エピソードをこの順番で並べるという選択は無いのだ。

自分が始めたいなと思っている「読書歴を共有して知的興味をさらし合うサロン」は、“さらす”という言葉を使っているとおり、自分が興味があるものを人前に出していいのだという安全・安心を提供する場でありたい。

その一方で、「少なくとも週1冊くらいは本読むよね。流行り本だけじゃなくて古典とかも」みたいな、甲子園を目指す野球部のようなマッチョ感も保ちたいと思っていたのだが、“安全・安心”という概念とかみ合うのかとモヤモヤしていた。

たぶん、まだまだ自分の中にいろんな思い込みがある。自分の頭の中身をどんどん文章にして、人に話してみて、もっともっと考えていきたい。

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