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祝祝福出家(しゅくしゅくふくすけ)

この一週間で、二つ、家出した。

一つは、生まれ育った実家。

ここ三か月で怒涛のように決断して選んできた道を母はいたく心配していて、大丈夫だよ、と伝えたくて表敬訪問してきた。いくら「安心して」「娘はこの道を選べて幸せだよ」を伝えても心配する母にお互い涙が出て、山口百恵の秋桜かよ、と思った。他方、いつも黙っている父がくれた一言の重みが、有難くてやっぱり涙だった。

「私達はもう長年生きてきた価値観を変えることはできないけれども、知未は知未の生きるようにしか生きられないんだから、知未の生きたいように生きればいい。そして、知未は私達が思い得ないところを考えることができる。考えたことを、まずはやってみたらいい。」

 私が異なることを認めつつも、肯定してくれた。人間できるようでいてなかなかできないスタンス――日々蓄積され夜な夜な消化されてゆく、父の映像とレコードと地理歴史関係の書籍の堆積を想った。3.11以降さっぱり整理されずむしろ加速していく実家の混沌ぶりを想った。きっと彼は達観しすぎて現実を動かそうということには興味がないんだろうな。

 そして、それも吉。

 大丈夫、それは全て子どものわたしたちが、綺麗にするからね。

人災になどこれ以上遭ってやってたまるか。


 もう一つの家は、結婚して築いてきた家族。

 物理的にこの身として離れてからはもう数か月、経っているのだけれど、今度は身の回りのモノや住民票も移した。私の意思表示。

 モノは動かせたものの、両親がわたしの心に対してそうであるように、私の心は夫の心を動かすことはできない。それは、仕方ない。

 でも、婚姻制度が法的な拘束力をもって、わたしの求める家族のかたちや性的関係を結ぶ相手にどうこう言い得る現実に、そしてそれを暗に利用して憚らない男性性の奢りに、静かな怒りを覚える。

 私は、そういうものから、自由になりたい。
(そしてさっさと坊主にしてまた髪伸ばすんだ)

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そういうことで、今日付けで茨城から宮崎へ、住所を移します。自分でも正直、どうしてなのか説明しきれないところがあるんだけれど、『いのちのじかんのまもりびと』の翻訳に専念するために、他でもないわたしのいのちのじかんを、大切にしたいんだろうなと、観察しています。

 茨城でお世話になった方、どうもありがとうございました。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

 宮崎でお世話になっている方々、いつもありがとうございます。宮崎行きフライトを二度も乗り逃すようなわたしですが(笑)、変わらず受け入れてやってください。


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 朝ふと開いたnoteで、祝福された気がして、久しぶりにnoteらしい文章を書きました。翻訳に力を注いでいると、自分の文章にまで気が回っていないここひと月でした。

 やすこさん、どうもありがとうございます…🍀

 やすこさんには、コロナのときに外とつながれず一人悶々とnoteしていたときに、創作を支えていただいた想いがしております。感謝💛




自分の特性・パートナーシップ・子育て・衣服・きょういく
5月くらいの気づきが布石になって、今ができているのだな。有難や✨


#出家 #家出 #尼ちゃん  #あまちゃん #翻訳は海女業だと思う
#ADHDおかーさんの家出庵

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