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【発達障害グレーと母親業】思いつきが散らかった部屋と,一人の時間。

朝、一人、機械音と言ったら「キッチン」の冷蔵庫の低いうなり声ぐらいで鳥の時間にそっとしているのが好きだ。この時間が取れないと、反対に、私の一日は、「一日の計は」の如く騒々しく、落ち着かなくなってしまう。

家族の音や私に話しかける刺激さえ、そこには要らない。調子が、くるってしまうのだ、申し訳ないけれど。私という入れ物とオペレーションシステムは、気難し屋だな、人には扱いにくかろう、と思う。

実際、私自身も扱いあぐねている、というのが本当のところだ。

何か対象物や対象事項があると、それが自分にとって「意味のある」と思えるテーマであればあるほど、もてる情報や時間の全てを投じて、突き詰めたくなる。しかも、いつでも北極星を見ながらガンガン突き進めればいいのにも関わらず(そうしたら当初の目的が達成されるから)、途中、道草を食む。道草こそ、美味い。その道草を口にし、やっぱりそれにのめりこむことにより、北極星で目指していた土地の至高の宝石も、より一層輝きとその価値を増す…ような気がするし、実際そうなのだろう。

でも、全部の道草を食んでいては、生きているうちに「そこ」にたどり着けない。…たどり着けないのだろう、ということを、道草食ってる途中に、思い出す。そうすると、私は全部傾けている集中対象への名残惜しさというメガトン級の重力を振り切って(これにはエネルギーが要る)、あ、えーと、いざ!北極星を目指して…!だった!!…と、道中再び歩み出す。

私の通った道には、その道草達を食い散らかした痕跡が、散らかる。

そして、本当に未知の土地をズンズン突き進んでいれば良いのだが、都合のわるいことに、定住民を基本とする現代のライフスタイルで日常を生きている今の私は、同じ家に住み続けて、このことをやっている。すると、どうなるか。

「あれをやりたかった」「これをやりたかった」「これもやりたい」「あれもやりたい(食べたい)」が、家じゅうに散乱するのである…(!)

定住ハウス内を移動していると、北極星を目指そうと思うのに、すぐに、過去の「思いつき」の残骸とも、中途の作品とも言えるものが、目につく。脳内は常に起動ボタンを押されているような状態になり、ウィンドウ過多になったRAM領域の人より狭い私の脳というOSの動作は目に見えて遅くなる。

そこに、子育て・家事というデュアルアプリケーションが、女性というOSで作られた私にジェンダー役割として否応なくインストールされております♪がデフォルトの世代で生まれ育っている。

アンインストールにも、消去して、OSを再起動するための労力と時間がかかるのだ…きっと、結婚12年を迎えようとしている私は、今、その真っ最中で、そんなこともあって動作が重たくなっているのだろう。

ニキ・リンコさんの『スルーできない脳 自閉は情報の便秘です』を読んでいる。

学校カウンセラーの先生に私の特性と家や教員という仕事のパフォーマンスで抱える課題について相談したことが、この春、あって、そこで「こういう人もいるよ」と勧められて、初めて手に取ってみた著者の本。

切り替えが難しく、操縦の難しい脳、か――おそらく、私の脳特性はこの自閉スペクトラム濃いめのグレーゾーンであり、その特性を無視した教育や社会の在り方に自分から無意識に寄せようとしてきた結果、持ち前の集中力が分散して発揮される、厄介さを抱え、ADHD的な様相を呈するに至っているのだろうな、というのに最近気づいたのだが、

その確信を深くしている。この本を読みながら。

多数派に合わせることを要求して、少数派が多少なりとも素の在り方から遠ざけられてしまう。きょういくって、何なんだろうねぇ、要らないんじゃないかな、わたしみたいなひとには?――自然とそんな風に考えてしまう自分を、発見しています。



そうやって時間どろぼうに時間をコントロールされちまったすべての青年と、大人たちに。

時間を取り戻す。


この数か月、目の前の子ども達を通したお役目(ぴーてーえー)に取り組むお役目を授かっており、それが、きっともう数か月続きそうで。

それをちれーにしだら、翻訳さもどっからね!

35章まで、まんず読んでみでけさぃん♪

時間泥棒の設定した時間と、好戦的に戦って、自分の時間を取り戻す方向に、動き始めることが、できるよ!:) :)




ももろ さんのイラストをヘッダーにお借りしました。
本当は、上の方に花びらのパラシュートにぶら下がった子猫のいる、可愛らしいイラストです。

シナプスみたいだったので、下の方のお花を(断腸の思いで!)使わせていただきました。

ももろさん、ありがとうございました!

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