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「スポーツビジネス」のスクールの乱立に思うこと

こんにちは。佐藤奨(さとうつとむ)です。

ここ最近、「スポーツのビジネス関係」のスクールが乱立している。

この乱立自体は、スポーツ関係で働きたい人の多さと、この分野における知識・スキルを体得し、他の(不勉強な)方たちとの「差別化」をしたい、など、スポーツで稼ぎたい予備軍の人たちの潜在需要の”多さ”の現れと思う。

もしくは、すでにスポーツ関連のビジネスに従事していて、そこで抱えている課題感をどうにかして解決したい人たちの”多さ”の現れとも言えるだろう。

この現象自体、なんら問題のないことと私は思う。こうしたスクールの乱立自体、これからスポーツの仕事が盛り上がる可能性を秘めた話と思うので、スポーツの視点から言えば、明るい話題になるだろう。ただし、スポーツビジネスの仕事は、資格職ではない。

スポーツビジネスの仕事は「資格職」ではない

スポーツビジネスの仕事は、資格職ではない、とは、スポーツビジネスの仕事は、例えば、弁護士などの士業の仕事のように、その分野の国家資格(難関な資格)を取れば、その業務を行える権利を得られる類の仕事ではない。

そこで勉強し、資格を得られれば、必ず、その仕事にありつけるわけではない。そんな初歩的ことは、受講する方も”事前に”理解していることだろうから、深くは掘り下げない。

ただ、声優の学校に通っても、実際に声優として食べていける人になれる確率は、クラスで1名いるかいないかみたいな世界のように、スポーツにおいても、超ごく少数の人たちだけが、スポーツビジネスで食べていけるみたいに、スクール”だけ”が乱立される世界になって欲しくない、とは個人的に思っている。

これらは、あくまで個人的な願いだが、需要と供給のバランスの(学びたい人と学びを提供する人のバランス”だけ”で、働ける人は実際には少数だけど、スクール開催すれば儲かるから乱立してしまっている)ような世界にはなって欲しくない)とは思っている。

”受講料金”と”成果”のバランス問題

受講料金が、それぞれのスクールでバラバラである。要は価格設定がまるで異なるのだ。

ただし、スクールの、何に対して、いくら?との価格設定は、それぞれのスクールの、外野から見た”だけ”の視点では、高いか安いかを測ることは難しい。

受講料金の価格の良し悪しを測ることが難しい理由は、そのスクールを、実際に受講した側が、その価格の価値を評価するものだからだ。

私もスクールの”受講経験者”だ

かくいう私も、2017年から2年間、スポーツビジネス関係のスクールに通った受講経験者である。(すでにスポーツビジネス従事者だったが、さらなるプラスに繋ぐためにスクール通った)

私が通った2年間で、それにかけた費用は、トータルでは100万以上だったと記憶している。..が、この費用”だけ”を見たら、多くの人は”高い”と感じるのではないだろうか。(当時、私は山梨県に住んでいたので、都内へ通うための交通費と宿泊費も入れたら倍くらいの費用を掛けたと捉えられるが..)

高いと思われたかもしれないが、スクールでの”きっかけ”で得た事業収入は、現時点で1000万円を軽く超えている、との回答をしたら、どうだろうか。これは事実である。費用に対しての売り上げ効果は10倍以上だった。今後も、それは、さらに膨らむだろう。

これを聞いた場合、どうだろうか。私としては、通った元の価格の価値は十分に”得られた”と捉えている。通う費用”だけ”で捉えるのではなく、費用に対しての「リターン」を捉えることが必要だろう。

ビジネスのスクールは「ビジネス」から対価を得るべき

ビジネスのスクールなのであれば、ビジネスから対価を得るべきだと捉えている。ここは、これから従事したい方は、自分の給与や成果で測る必要があるが、事業者視点で捉えるなら、ドライに見るべきだろう

というのも、事業者視点ならば、そこに通って、一生懸命頑張って仲間ができてうれしい。以上。みたいな感想文的なことは要らない、と私は捉えている。そこはドライに「ビジネスの成果」で測るものが”ビジネス”スクールであるべきだ。(これは、事業主としての、あくまで個人の意見である。誰かと苦しい胸の内を共感したい、だとか、傷の舐め合いを求めにいくなら、そんなのは、ビジネススクールである必要はなく、飲み会だとか、サークルで得ればいいだろう。笑)

これは、単発のセミナーに関しても、セミナー自体(セミナー開催の効果などの軸)で批判をされたりもするが、例えば、参加する価格が、4000円のセミナーであれば、それに掛けた時間的な労力を踏まえて、そこで得たきっかけなどからの対価から「4000円以上」を得ることは、さほど難しいことではないと捉えている。

そこで得た”ヒント”、ないし、人との接点から、より良い成果に繋がるきっかけにつなげられるのであれば、そこでどんどん吸収したら良いと思っている。

無駄な知識を得て、”頭でっかち”になることは良くないが、開催の「テーマ」に沿って集まった登壇者なり、参加者なら、同じような「課題感」を持った人たちの集まりなので、そこから”なんらかのプラスなきっかけ”は生み出しやすいのでは?と私は捉えている。

どうせ参加するなら、”そこ”でのきっかけを掛け算にして、どうその後に繋げられるのか?に頭を使うべきだろう。たった4000円が、数倍、数百、数千倍になることだってある。

参加している”時間”を自分の時給で換算し、そこに、参加費用を追加してトータルの費用で考えた上でのリターンで考えた場合、どうなるのか?で捉えても良いだろう。

すべては”自分次第”である

前述した通り、私の場合は、そのビジネススクールに通ってかかった費用の10倍以上のリターンを生み出したが、それは、スクールに通えば、必ず手に入るものとは言い難い。

受講した”きっかけ”の中で得られる”接点”を活用し、その後の自分の商売に繋がるような繋がりをつくり、そこから成果に繋いだのだ。

ようは、そのスクールから得られること(主催者から振られた仕事)が、その価値を生んだわけではなく、そのスクールでの登壇者や関係者に向けて、”自分から”直接アプローチをするなどして”接点”をつくったことが、後の成果に繋がったわけだ。

自分が動かなければ、成果となる果実は得にくい。(もちろん上手なアピールに成功すれば、主催者や、関係者、ゲスト登壇者らからビジネスを振られる可能性もあるが..)参加すれば、向こうから自動的にうまい話が降ってこないことは事前に理解しておくことだろう。全ては自分次第なのだ。(自分次第で、どうにもできないのにそこに参加すると、時間の浪費になるかもしれないが..)

受講前に「成果」をイメージすることは難しい

私の場合、結果論として”成果が出た”話をしているが、実際のところ、スクールの受講前にどのような「成果」を生み出せるのか?をイメージすることは難しい。

それは、例えば、ゲスト講師がどのような方かは事前に把握できても、そこでどのような話をするのかを事前に把握し切ることは難しい。

また、そのゲスト講師の「課題感」と、自分が提供できる「価値」が”噛み合う”かどうかを、事前に詳細まで描くことも難しい。

もっと言えば、スクールの参加者の顔ぶれが、どのような人たちになるのかを事前に詳細まで知ることが難しい。これは、単発のセミナーに関しても同じだと捉えている。

(私の場合、ゲスト講師が話した内容から、受講後の名刺交換までの時間に「課題解決に繋がる”何か”」を提供できると想定したら、それを名刺交換の際、または後日にアポイントをいただいて課題解決に繋がりそうなことをぶつけてみたりもする)

けれど、つなげる”きっかけ”は自分で描くものなのだ。

スクールやセミナーに通う前、申し込みをする前
1. そこで得られる「方向性」なり「仮説」を想像し、得られるものがあるのか。
2. 時間的な余裕があるのか。
3. 資金的な余裕があるのか。
この3つから検討する必要があるだろう。
(もちろん、私が上記で書いた通り、主催者や、ゲスト講師の「課題感」と、自分が提供できる「価値」が”噛み合う” = ビジネスに繋げられる可能性から参加することも良いことと思う。きっかけは”自分で”つくればいい)

もし通って、イメージと異なるなら、途中であろうと、辞めてしまえばいいだろう。もったいないのは、無駄な(浪費する)時間の方である、と捉えている。

自由裁量時間の使い方であり”嫌”なら辞められる

私は、かつて、20代前半の頃に通った別のビジネススクールで、最初の2回だけ受講し、その2回で、払った金額と、その後に得られるイメージと異なったと判断し、その後の18回程度の受講を、お金は払ったけれど、通わずに辞めてしまった経験もある。(途中で辞めてお金はもったいなかったが..)

ようは、スクールに通う時間とは、自費であれば、自由裁量時間の使い方の範囲であり、そこで通うことに価値を感じにくいのであれば途中でもすっぱりと辞められる。その選択自体も、全てが自由であると捉えている。(会社からの費用で通うのであれば、途中で辞めるとはいかないだろうが..)

ビジネスのスクールで、その後のビジネスに繋がりにくいと判断するならば、惰性で通い続ける意味はない、と、私は捉えている。

価格の価値の”尺度”は自分で決めろ

話を戻すが、スクールの価格、価値は、自分で決めるもの。その値段が高いと感じても、それ以上の価値を生み出せる可能性があるなら(いやむしろそれ以上の価値を生み出す!気概があるなら)、挑戦する価値があるだろうし、時間的な余裕や、資金的な余裕がないならば、受講を躊躇しても仕方がない。すべて、自分次第だろう。身銭を切るなら、当たり前だ。

このスクールを受講すれば、このような経験が得られます、だとか、就職にプラスになります、のような「ガイドライン」じみた謳い文句が存在するスクールもあるが、むしろそんな謳い文句は疑ってかかるくらいで良い。

そんなガイドラインのようなレールが敷かれた”ビジネススクール”は、専門学校と同じだろう。ビジネスとは不確実性の高いことであり、レールの上に乗ることではない。(そんな、確実に通じる魔法を学べる場所はない。)ビジネスのスクールでの学びの成果は、あくまで、その後の”ビジネス”の成果で測るべきだ、と、私は捉えている。

意識すべきは「掛けた費用以上の対価」

ビジネスのスクールの受講で、意識すべきは「掛けた費用以上の対価」を掴み取れるのか?その一点に尽きる、と、私は捉えている。その対価を得られるか?は、他の誰かが決めることではなく、参加した自分が決めること。つまり、すべては”自分次第”と思う。

以上が、私の「スポーツビジネス」のスクールの乱立に思うこと、である。

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著者のプロフィール
イベントプロデュサー / コンテンツつくる人 / 楽しい”場”をつくりたいと想い続け1万人規模のイベントや5000名を盛り上げるショーの開発 / モノゴトをエンタメ化して集客する「プロダクション」を経営 / しばらくはコンテンツ開発に集中。

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