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赤ちゃんが与えてくれたもの

昨年着ていた薄手のニットに久しぶりに袖を通した。
合わせるのは、ゆったりめで着用できると思って無印で吟味に吟味を重ねて買ったコーデュロイのパンツ。
・・・ボタンが…ギリギリになっている。

9月に無事に出産した。
おかげさまで順調に産後体型まっしぐら。
1日中、マイハニーと過ごす毎日。特に爆食しているわけでもないのになぜに痩せぬ。これぞ産後。骨盤は開きっぱなしだし、なんだかお腹の調子は整わないし、腰痛肩こりは常にまとわりつき、どんどん語彙力が乏しくなって、頭の回転が低速になっていく。

ただ、マイハニーはそんなことお構いなしに、3、4時間起きにはきっちり目を覚ましお腹が減った、おむつを変えてくれ、いや特にわけはないんだけど泣きたい気分なんだよね〜といった調子で順調におぎゃおぎゃとスイッチをONしていく。
(まあこんなことは育児本でよく書いてあること)

日々の生活は想像していた通りに変化した。
自分中心だった時間配分から、はっきりと彼女中心になった。
ゆっくり寝ていたくても彼女が起きれば共に目覚め、ご飯だって好きな時間にかならずとれるわけでなく、パスタだってスープだって冷めていくのだ。
お金にだってシビアにならざるを得ないし、自分自身の洋服はひとまず手持ちでどうにかしようと考える日々。
母乳の出はあまりよくなく、マイハニーを満たせないし、
吐き戻したミルクを見ては吐きすぎてはいないか、正常かと不安になり、
鼻詰まりで息苦しそうな彼女をみるとどうにかしてやれないかと気を揉む。

そんなこんなで無事に2ヶ月を迎えることができた。
あっという間だったようで、まだこの世に生をなしてまだ60日ほどなことに驚きとともに、生命力の強さに動物の神秘を感じたり。
自分たちが親になったぞという感覚はいつ生まれるのだろう?
産んだからって、さて親だとはすぐにはなれないものだ。

ただ、すっかり変わってしまったのは、
考えること、思考のほとんどが「こども」へ向けられるということだ。
四六時中頭にはマイハニーが占拠し、まばたきするたびに彼女のお顔が映しだされる。いまだって彼女の写真をちょこちょこと見てしまうもん。毎日毎時間顔を合わせているはずなのに。

あかちゃってすごい、のだ。

じいじとばあばになったうちの親は、しょっぱなからフルスピードで爺婆バカになった。じいじに関しては想像を軽く超えてきた。
会話も多くはなかった我が家に、里帰り中一体感が生まれていたほどに。

人さえも変えてしまう。
そして関係性さえも左右してしまう。
そえほどに、あかちゃんパワーはすさまじい。

子供を産むことで「自分の人生が変わる」と思っていた。
もちろん、かなりの速度で人生の変化が訪れた感覚もある。
ただ、実際には変わるのは自分だけでない。
周囲の家族、その関係性、そこから見えて来るもの。
そして、私自身が自分の親へもつ感情をも変えていく。
世の中、世間の見え方さえも変わっていくのだ。

マイハニーを可愛がっていると思うのだ。
「誰しもこうやって可愛いがらえれ、誰かに大事に大切にされてきたのだろう」と。どんなにへそまがりの気に食わないやつでも、例外なく、あかちゃんだった。そして大切に守られてきたのだ。

わたしのもとにきてくれたマイハニーは色んなことを教えてくれる。
感情も、社会のことも。そして少しだけ私自身をアップデートさせてくれる。
育てているようで、育ててもらっている。
たくさんのことを与えてもらっているのは、私の方なのである。

本当にあかちゃんって凄い。

ほぼ予定日に「あ、そろそろ外に出る日だった!」と思い出したようにこの世に誕生した我が子は、いつも純粋無垢な笑顔を振り撒き、
順調にファンを増やし続けている。

すでにもたらしてくれたものは数限りなく、
私の元に新たな経験や今まで感じたことない感情や考えをもたらしながら、
今日も順調にミルクを飲み続けている。

だから、この私の二の腕や腰まわりについた脂肪だって
彼女が与えてくれたもののひとつなのだ。
そうポジティブにとらえ、いま誕生日でもらった久しぶりの1人スタバ時間にホワイトモカを飲みながら、また私はカロリーを摂取するのだ。

おめでとう2ヶ月、
生まれて来てくれて、ありがとう。
心にはいつも“oui”を。これからもずっと。

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