くるりの「バラの花」って夏の歌かな?

初めての夏休みを過ごしている。
夏という言葉に含まれるモラトリアム感は、いつでも邦楽ロックを連れてくる。どうしても思い浮かぶシチュエーションは暮れから夜にかけてで、どうしてか「くるり」や「フジファブリック」の声が、耳と心に、なにせセンチメンタルにやってくるのだ。大学生×手持ち花火感。

社会人になってかれこれ10年。幸いなことに、お盆休みは長ければ10連休なんてこともできるホワイト企業で勤めているため、それ相応の夏は享受している社会人生活を送ってきてはいると思う。サマソニにはほぼここ数年皆勤賞だしね。

ただこの夏は違うのだ、2020年のわたしはいままでとちょっと違う。
コロナで十分、世の中的には半端ない変化を強いられているけど、わたしも結構ショッキングな激動。
「適応障害」とやらになり、といってもかなり軽度。いまはほぼ回復。
8月数日会社に行ったきり、夏は仕事をしていないのだ。
んー結構辛かった。ゴーヤが腐っているだけで泣き出したり(ゴーヤに申し訳ない気持ちになった、こんな泣き出してうずくまっているわたしをゴーヤはどうみていただろう)、夜は眠れなくなり、転職サイトを全部見まくり出す、そして終いには涙が止まらなくなる。朝起きて、化粧まではできるけど、なぜか着替えになると忘れたようにベッドに逆戻りしてしまう…などなど。
結構、自分自身でも「え?」って思った。ショックっていうようり、「これってわたし?」というような自分が自分でない様子。心が風邪気味なんだなあって感覚がすごく理解できた。

そしていま。社会人になって、はじめての「夏」を噛みしめている。
うーん、なんて心地よいのだ、この夏は。

回復してきてラジオなども聴けるようになり、日常が少しずつ戻ってきた。朝はラジオを聴きながら朝ごはんを済まし、その間に洗濯をして、終わったらお皿を洗って、洗濯物を干し、軽く掃除機をかけて、毎日の生活を少しずつ快適にしていく。昼はちょこっとどうぶつの森を進め(温泉街をいま造っているところ!)興味がある分野の本を読んだり、勉強をしたりしている。夕方になれば彼が帰ってくるのに合わせ、献立を考え、下ごしらえを始める。彼が帰ってきてシャワーを浴び始めたらメインに火を入れ、テーブルをセットしていく。

なんて完璧な生活、いま結構な幸せを感じている。

徒歩10分弱のところに実家があるため、時には昼ご飯を一緒にとったり、母親と買い物に出て「あのスーパーは茄子が安かったよ」なんて主婦トークをしながらかごに野菜を入れていく。先日は、両親と気分転換に八ッ場ダムに行ってきた。

社会人生活はじめてのわたしの夏休みは、親孝行をしつつ、仮想新婚生活をイメージしながら、自分自身のしあわせとはなんなのか?見つめる時間になっている。こんな贅沢な時間、本当に恵まれていると思っている。心から休んでよかった。

いままで、なんであんなにがむしゃらに働いていたんだろう?
いままで、なんであんなに会社に適応しようとしてたんだろう?
いままで、なんでちゃんと貯金しなきゃって思ってたんだろう?
わたしはなににお金を使いたかったんだろう?

いざ、世界を狭めてみたら、意外に大切なものは失われずに手元にあった。半径5mの世界がこれほど安心感を与えてくれるとなんで気がつけなかったんだろう。
いざ、心を休めてみたら、これがしたいという気持ちが少しずつ湧き出てきた。「これやらないと後悔するかもしれないよ?」ってわたしが空から語りかけてくる。

「安心な僕らは旅に出ようぜ  思い切り泣いたり笑ったりしようぜ」
「ジンジャーエール買って飲んだ こんな味だったかな」
なんでこの曲、夏の歌だと思ってるんだろう。
「ジンジャーエール」が想像させる世界観ってすごいな。

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