父への手紙

あなたが逝ってから半年が過ぎ、今日はあなたを想いながら手紙を書きたくなったので、書くことにしました。

そっちの世界はどうですか。過ごしやすいですか。こちらは寒い日々が続いてますが、元気でやってます。

あなたは生前、信心深い母とは反対に “死んだら燃えて灰になるだけや”とよく言ってましたね。どうなんですかね。こちらの言葉が全く届かないとしたら、ちょっとそれは淋しいですけどね。

小学校受験とかさせて貰いましたね、見事に落ちましたけど。あれだけ試験前に “ペンギンは鳥やで”と言われてたのに、鳥類にペンギンを選び忘れました。話、ちゃんと聞いてなかったんですね。今でもペンギンが何で鳥なのか知りたいです。

運動神経、意外と良かったですよね。よくキャッチボールもしてもらいました。カーブボール投げてましたもんね。足も速くて、勝てた記憶がありません。将棋も結構指しましたね。こっちもあんまり勝てた記憶無いですね。

音楽も好きで、ステレオとか電化製品にも凝ってましたね。谷村新司の歌詞、 曲名も忘れましたが “幸せになろうなんて、思っちゃいけない”は小学生ながらにちょっと衝撃でした。今でも覚えてますもんね。

多趣味でしたよね。カメラとか、鉄道とか、社交ダンスも数年習ってましたね。家でよく練習してたけど、ダンスよりもまずその猫背はヤバいと多分皆んな思ってましたよ。

運転、うまかったですね。数え切れないほど、助手席に乗せてもらいました。道なんか、完全に頭に入ってましたもんね。ナビとか全く要らないですよね。自分は残念ながら真逆の方向音痴です。そこはお母さんに似たんですね。

高校の時、進路を文系か理系の選択で迷ってた時、あなたに “文系でええんちゃうか。選択肢、あんまり狭めん方がええで”と言われ、ギリギリで理系から文系に変えたことがありました。正直、あの時の自分にとってはどっちでも良かったんですよね。結構真っ暗でしたからね、あの時の自分。知ってましたか?

賢一が東京に出て来てからは、年1〜2回しか会わなくなりましたね。目に見えて衰えていくあなたを見るのは正直しんどかったです。30歳くらいの時ですかね、多分小学生以来に将棋を指したと思うんですけど、簡単に勝ってしまったんですよね。あの時は内心ショックでした。半分くらいボケ始めてましたもんね、多分。

あなたが35歳くらいの時、自分が産まれたと思うんですけど、ちょうど自分がその年齢になった時、リウマチにかかったんです。知ってました?
ずっとあなたのリウマチを見てきたから、なった時はすぐに分かりましたよ。やっぱりストレスが一番良くないんですよね。

あなたはどんどん耳が聴こえなくなって、会話が難しくなりましたね。歩けなくなって、咳も止まらなくなりましたね。元々コミュニケーションが苦手なのに、ほぼそのせいで会話は出来ませんでしたね。頭もボケて来てるはずなのに、メールの文章だけはびっくりするほど、ちゃんとしてましたね。

向こうに逝く最期の5年くらいですか、会う度に結婚を薦めてくるようになりましたね。薦めるってことは良かったと思ってるんですか? 夫婦仲が良くなかったのをずっと見て来ましたが、あなたはお母さんの悪口を賢一に言う事だけはしませんでしたね。あなたはあまりにも不器用過ぎましたね。

なんか色々と書きたい事は山ほどあるのですが、あんまり長くなってもあれなんで今日はこれくらいにしときます。さっきからスタバでこの手紙書いてるのですが、不思議なもので何度か泣けてきました。周りの目も多少気になりますからね。

あなたに言葉が届くか届かないかは知りませんが、時々はこうやってあなたに語りかけようと思ってます。向こうでゆっくり休んでください。それでは、また。

#父への手紙 #店主 #想い出


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