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「救いとしての闇」


先ほど、作家・村田沙耶香さんのインタビュー記事を読んだ。
結構前の記事だが、検索でひっかかった。

私は村田沙耶香さんの作品が好き。
単行本化された作品は、全て読んでいるはずだ。

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今日は実家に泊まることにした。
実家までの電車で、父は辻村深月さんの小説を読んでいた。
辻村深月さんについて、有名な作家さんらしいと知ってはいるのだが、読んだことはない。

父に辻村さんの小説ってどう?と聞いてみた。
読みやすいよ。穏やかな気持ちで読める。
この間、村田沙耶香の「コンビニ人間」を読んで疲れたから、軽く読めるものがよくて。
父は、そんな風に答えた。

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村田沙耶香さんの作品は、温泉につかるような気分で読めるような、穏やかで癒やされる感じでは全くない。
暗闇の藪の中を掻き分けながら、蛇とか虫とかが出てくるのに怯えながら、それでも読まずにはいられない、そんな感じ。

でも私は村田沙耶香さんの作風がとても好き、というか、すごく惹かれる。
自分の価値観が揺さぶられる感じがする。
読後感は心地良いものではない。
でも、読んでよかったと毎回思う。
だから、新しい作品が出ると、今度はどんな作品が産まれたのだろう、と気になってしまう。

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村田沙耶香さん本人について、もう少し知りたいなと思って、検索していたところで見つけたのが先ほどの記事。

以下の発言に私は共感した。共鳴した、という感覚のほうが近いかな。

本当にぎりぎりの人にとっては、光が救いにならないときがあると思うんです。むしろ、自分よりも深い闇が、光よりも希望になるときがある。

以下の発言も印象的だった。

「救いとしての闇」を書きたかったんだと思う

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私が村田沙耶香さんの作品を初めて読んだのは、大学生の時。
作品の名は『殺人出産』。

大学生の時の私は、感情の波が小さくて、穏やかで、幸せだったと思う。

でも、なぜか村田さんの作品にすごく惹かれて、過去作を手当たり次第読み漁った。

私は村田沙耶香さんの作品に漂う闇の気配に惹かれているのかもしれない。
大した悩みも挫折もなかった大学生のときから、なぜそんなにも惹かれたのかは、私にも分からないけれど。

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私は、気持ちが沈んでいる時、明るい曲が聴けなくなる。
なにわ男子の大ファンだけれど、なにわ男子の曲は青春や恋愛のキラキラが強すぎて、聴けない。
キャンディーズも聴けない気がする。

聴くのはもっぱら中島みゆき。
「わかれうた」や「アザミ嬢のララバイ」なんかが特に聴きたくなる。
暗い歌が多いのだが、聴いているうちになぜかだんだん落ち着いてくる。

中島みゆきの歌を聴いているときは、私にとって「自分よりも深い闇が、光よりも希望になるとき」なんだと思う。

「救いとしての闇」というのも、なんとなくだが、わかるような気がする。
村田沙耶香さんの小説や、中島みゆきの歌は、私にとって「救いとしての闇」かもしれない。

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私は大学生まで、人に闇を見せたことがなかったと思う。そもそも闇がほとんどなかった気もする。

だいたいは、のんびりと穏やか。
歌ってるとき、美味しいものを食べてるとき、友だちとおしゃべりしてるとき、ごきげんなときもかなり多かったと思う。

新卒で就職して、精神疾患にかかってから、闇が出てきたな、と思う。
希死念慮が出たこともある。
たぶん、うつ状態にある人の中では、かなり頻度は低いけれど。
動けなくなったり、不安になったりすることのほうが、私の場合は圧倒的に多い。

私は、闇を隠さないで生きたい。なるべく。
闇をさらすことが、自分を傷つけることになると思ったら、隠すつもりだし、実際そう思ったときは隠している。

私の闇が誰かの救いになることもあるのかな。
あればいいな。

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