友達なんて無理してつくるものじゃないよ

あなたは友達がたくさんいますか?
親友と呼べる存在はいますか?
友達がたくさん必要だと思いますか?
親友と呼べる存在はいるべきだと思いますか?

社会の多くの場面において交友関係は重要であり.不可欠であると考えるのが正しいことのように扱われている気がします。

まあ友達がいないよりいたほうがいいのは確かかも知れません。

しかしそれらを周りの人たちと同じようにできずに苦しんでしまう人も必ず出てきます。

友達をつくったり人と何かを協力して行ったりするのが苦手な人を許容するだけの多様性に対する懐の深さも存在しないこの社会では.どうやら珍しいことでもなさそうです。

人の抱える悩みや問題などはその大半が対人関係にあると考えられていますが.それらはなぜ生まれるのか。

様々な要因が関係しているであろう事は間違いないのですが、その中の1つとしては「学校」というものが挙げられると考えています。

学校そのものに問題があると言うよりは.その中で繰り広げられている世界の価値観に依るところが大きいと思います。

学校と言う世界では「友達」と言う存在の価値が明らかに一般社会のそれをはるかに超えて高く、重要視されています。

友達が多いほど影響力を持つことができるし.他と同じであることが好ましい特性であるとされる為です。

つまりその逆であると見なされてしまうと学校という世界の中では影響力を及ぼすことも.果ては存在を主張することすら叶わなくなってしまうのです。

そしてどうやらこの学校という世界はそのようなルールが存在していると言うことを子供たちは敏感に肌で感じとり.それに適応していきます。

子供が家と学校とでは口調やキャラが違う.なんて事がよくあると思うのですが、つまりはあれこそが学校の中と外との世界が異なる価値観によって存在しているという証拠でもあるのです。

学校の友達の前では「偽りの自分」を演じ続けなければならない.と言う事実は時間が経つほど苦痛になっていき、やがてそれが無意識にストレスとして蓄積していきます。

そしていつしか学校にすら行きたくなくなるのですが.ここで「学校に行きたくない」と言う自分の気持ちに気づき.認めることができればまだマシで、ほとんどがそれに気づかないか、気づかないフリをして「学校は楽しい」と思い込もうとするのです。

それも又.そのように考える事が学校という世界においては好ましい特性であるからなのです。

その経験によって対人関係そのものがとても難しく.ストレスを伴うものであると言う刷り込みが生じてしまい、苦手になっていくのだと感じています。

そうならない為には友達と言う存在の価値を適切に捉える必要があります。いなければいないでかまわないし、できないなら無理につくる必要もない。

それどころか.学校と言う狭い世界の中で友達と呼べる存在に出会えることの方が稀であって.友達なんてできなくてもなんら不思議ではないのです。

たまたま同じ地域にたまたま同世代で生まれた子供たちを寄せ集め.その中から数十人単位でクラスに振り分けられただけの集団の中で、友達と呼べる存在ができる人が多数派であることの方がよっぽど不自然であると感じます。

学校なんてものは寄せ集められた他人同士がトラブルなく協力して何かに取り組む姿勢を学ぶ場でしかない、ぐらいに考えた方が将来的にも対人関係で悩む事が減るのかも知れません。


以上でーす。


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