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ちぐはぐな感情コントロールでボロボロだった爪は、自己表現のキャンパスに変わった

前日の記事の続きです。
睫毛を抜くことが、私の最初の感情コントロール術だった。|なな #note https://note.com/3337777/n/n59381884ced2

前回の記事では睫毛を抜いて感情コントロールをしようとする過程を書いた。睫毛だけではない。中学でいじめが始まると、睫毛に加えて髪の毛を絡めるようにむしり始めた。もちろん無意識に。今も断続的に続いている。新卒の頃、不安障害で通院していた時期には、両サイドのおでこに髪の毛のない剃り込みのような形ができた。何とかして後ろ側の毛を持ってきたりしながら隠していた。
小学校入学の時には指しゃぶりの延長で、何かあると爪噛みもしていた。イライラしたとき。思うように行かないとき。特に何もないとき。皮膚もかじって血が出るまでガリガリ掻いたりした。本や書類に血がついて焦った。

本気で改善したいと思い、やっと実行に移せたのは新卒の会社を逃げるように退社し、気持ちにも時間にもやっと余裕が出た頃。ごく最近だ。
私は最寄りの個人営業のネイルサロンをたずねた。
ネイリストさんは深爪と周りの赤みや傷にさほど驚きもせず、慎重に慎重に甘皮を取り、形を整えてくれた。

初回ケアの後。爪下の皮膚も剥がしていたので赤く腫れている。見苦しいので、写真はこれでも加工している。傷つけてきたので爪下が茶色く変色している。

初ネイル後1ヶ月。元々の爪がどれだけ小さかったか分かる。まだ皮膚を剥がした赤みや傷がある。

ネイルサロンに通って1年以上。爪のピンクの部分が成長し、塗れる面積が増えた。それでも皮膚を噛む癖は残り赤い傷跡がある。


これまで大嫌いだった爪は、痛みを受け止めるサンドバッグから、季節感や自分の気持ちを美しく表現できるキャンパスに変わった。コンプレックスとトラウマの象徴。だが、今私はその爪にお金を払ってケアをする。デザインや色を選ぶ。手を触ってもらっていると、体温が高くなって眠くなってくる。
まだ、現在進行形で刻まれる傷と共存しているのも、私らしいなと思う。

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