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世界が狭かったからコンプレックスも、たんまりだったわ

私は歳よりも随分と幼く見られてきた。
背が低かったのもあったのだろうけど
高校生くらいまでは確実に小学生に見られていたし
30歳くらいまでも化粧っけがなかったからか
高校生に見られていた。


私の周りにいた
同年代の友人たちは見事にべっぴんさん揃いで
私は意味もなく誇らしかった。


一緒にいて比べられることはたくさんあったけど
そんなことは言われなくてもわかっていたし
重々自己認識していたので
「あーはいはい」って感じでやり過ごしていた。


20歳を過ぎた頃
友人の一人が水商売のバイトを始めた。


とてもいいお店だからと
友人がバイトの休みの日に
私を連れて行ってくれた。


カウンターに友人と座ったら
開口一番店主が私に
「未成年はダメだよ」
と決めつけてくる。


慣れっこなので
「一応成人してます」
と伝える。


信じてもらえないが
友人がそこはカバーしてくれる。



お化粧も映える大人びた友人と
化粧っけもない
個性的な私とが並ぶとそれはそれは
滑稽に写っただろう。


お酒が並んだ戸棚に
友人と私が並んでいるのが写っていて
私はこれまでに感じたことのない様な
とても、惨めで
なんとも言いようのない悲壮感に襲われた。



友人は本当に性格も良くて
頭も良くて可愛くて
裏表のない人間だったから
余計にそう思ったのかもしれない。



ちょっとでも人間的に欠落してたのだったら
見下すところを見つけて
私は即座にマウントをとっただろうけど
そんなこともできないくらい
いい子だった。


常連客と思われる人に
友人が話しかけられるたびに
私に視線が向く。


こんな子供が来ちゃダメだろう

本当に同じ歳なの??

今日はくまのパンツかな〜?


あの手この手で
私のことをからかってくる。



器もまだおちょこの裏くらいしかなかった私は
耐えられなくなって
お店を飛び出した。


この世の中は私にとって不利だ。


化粧をしたところで
この顔に化粧は映えない。

どんなに大人っぽくしたところで
この丸い顔はどうにもならない。


私はこの大切な若い時期を
「幼い見た目」ってだけで
こんなに惨めに過ごさなきゃらならないのかと


もちろんそれまでにも
合コンなんていうものに呼ばれることもなかったし
見た目から異性としての対象と見られることも
少なかった。



だから同年代における
自分の女性としての地位がどの辺にいるのかも
薄々はわかっていたのに
こんなにもあからさまに見せつけられることになろうとは
思っても見なかったから
私はただただ悲しかったし悔しかった。


見た目というどうにもならない個性が
私の人生をとことん邪魔していく。


そう思ってたけど。


私の世界が狭過ぎた。


数年経つと
若く見えるのに話すと大人
という私のキャラがなんだか受け始めた。


世界が広がったのだ。


狭い世界では
ルールや美醜の基準がものすごく偏っている。
そこから出られないうちは
まるで自分がダメな人間な様に
魅力がない様に感じてしまうこともある。


でも、ちょっと飛び出せば
自分の嫌だったところを
好きだと言ってくれる人もいる


コンプレックスなんてそんなものだ。


今いる世界が生み出した幻想。
誰かの価値観。


あんなに若い時には
「子供子供」と言われてた私も
今は実年齢より20は若く見られる。


私にとっては人生を通して
ずっとそうだから
若く見られても「またか」くらいにしかならないが


それが欲しくて欲しくて
時間とお金を膨大にかける人たちもいる。


世界が変わると見えてくるものも変わる。



もし、今苦しくて、思い通りにいかないな
って思ってても、今いる場所を飛び出して
価値観の違うところに行けば
今まで見えてこなかった魅力が
もりもり出てくるかもしれないよ!

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