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2023年 大河ドラマ「どうする家康」44話を見てみた。

こんにちは。めぐたんと申します。

都内でサラリーマンしている歴史が好きな30代男性です。
歴史上の人物で徳川家康が一番好きです。

2023年 大河ドラマ「どうする家康」の第44話が放送されました。
本日も感想を投稿したいと思います。


1.どうする家康44話

関ケ原の戦いは東軍の勝利に終わり、家康は1603年に江戸幕府を開きました。家康は幕府の政策を若い家臣達の力を使い進めていきました。しかし、跡継ぎの秀忠は頼りなく、徳川家に今まで貢献してきた、本多忠勝、榊原康政らにも老いが迫ってきていました。また豊臣秀頼も健やかに成長し、秀忠に将軍職を譲った後は徳川家と豊臣家の対立が深くなっていきます。忠勝と康政は家康をまだ支えようとしますが病で亡くなります。秀頼は19歳になり立派な成人となっていました。家康は70近い年齢に差し掛かっていました。


2.江戸幕府の開府

今回は江戸幕府の開府が描かれました。

1603年に江戸幕府が開かれてから1605年までは家康が初代将軍、1605年からは秀忠が2代将軍となります。1605年からは秀忠が江戸で本多正信を中心に政治を、家康が駿府で本多正純を中心に政治(大御所政治)を行います。やはり家康は今川家で過ごした駿府が気に入っていたのですかね。

将軍職を引き継いだ秀忠は家康から見れば最初は頼りない跡継ぎだったと思いますが、秀忠は大器晩成型で家康死後に幕府体制を盤石なものにします。
武将としての武勇や知略での評価は乏しかったかもしれませんが、政治統治に関しては家康の後を継ぎ上手く行ったイメージがあります。性格も温厚だったので平和な時代の将軍としては優秀だったと思います。
また意外ですが、秀忠の時代では家康の時代より多く大名を改易や取り潰しを行っています。大阪の陣もありましたが、豊臣政権時の大名たちと直接的な繋がりが家康より少なかったので変な遠慮とかが無く粛々と統治を行えたのかもしれませんね。

幕府を開いてからは武官家臣より文官家臣が必要とされます。
本多忠勝や榊原康政ら家康と戦場を駆け抜けた家臣達に働ける場所はありませんでした。やはり戦場で生きてきた家臣達は戦場がないと老いていくのも早いのかもしれません。榊原康政は1606年に、本多忠勝は1610年に亡くなります。井伊直政も関ケ原の戦いの傷がもとで1602年に亡くなっていますので、徳川三傑は全員いなくなってしまいました。1610年時点でドラマに出てきた家臣では渡部守綱、平岩親吉がまだ生きていますが桶狭間の戦いから出てきた家臣達もほとんどがいなくなってしまいましたね。


大阪の陣も近づいてきました・・・!
秀忠の成長にも期待ですね!

次回の45話も楽しみです!


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