見出し画像

ファンレターは勢い

 応援したい人に手紙を書く、という行為は私にとってそう珍しくもない。おそらくその文化に触れたのが若手芸人のファンだった時だからだ。今はどうなのかわからないが、当時は返信用の封筒と切手を同封していればファンレターに芸人さんから直接返事がもらえた。中学生の頃私は何度か好きな芸人さんにファンレターを送って、貰った返事を大事に大事に読み返していた。高校受験の際にそのことを手紙に書けば「受験がんばってね!」というメッセージが添えられており、私はその手紙を鞄に入れてお守り代わりにしていたこともある。

 舞台俳優、アイドルと消費するエンタメが移り変わるごとに手紙を書いた。この時のこの演技に感動しただとか、あなたのダンスのここが好きだとか、そういうことを恥じらいなく言葉にできるのは手紙の良いところだ。送ってしまえば届いているかもこちらからは観測しようがないのが気楽でありがたい。そして、届いているのが分かればそれはそれでまた嬉しく思える。

 現在はその対象がVtuberとなった。推しはどうやら手紙が好きらしく(使いたいレターセットが溜まっていく話を聞いたことがある)、リプライやコメントでいくらでも伝えられるメッセージをわざわざ紙に書いて送ることをよく喜んでくれる。その言葉が嬉しくて書いてしまうのだから、オタクは本当に単純だ。
 だが私は筆まめとは言い難い。最初のうちは季節ごとに一通ずつ出せれば良いなあ、などと思っていたけれどもうそんなこと到底できなくなっていた。

 そんなとき一番いいのが勢いで書いてしまうことだ。本来は書く内容を一度スマホのメモに下書きをするが、その段階を飛ばしていきなり便箋を広げる。最初の挨拶文を書いてそのまま思いつくままに好きだとか面白いだとか可愛いねだとか書き連ねる。配信の細かい内容の感想というよりは、推しに対する大きな大きな尊敬と愛を小さく一口大に千切っては記していく感覚だ。そんな風なのでいつも手紙全体はぼんやりとしている。ぼんやりと気持ちだけがぎゅうぎゅうに詰まったまとまりのないそれを、封筒に入れて、宛名を書いて、押し付けるようにポストに投函する。申し訳ない気持ちはあるけれど、本来ファンレターは一方通行のコミュニケーションなので相手が不快になるような言葉でなければ自由に書くのが正義なのだ。どうしても反省した時は、もう一度便箋を広げて配信の細かな感想などを記したまともな手紙を書けばいい。一気に2通送ってはいけない決まりもないのだから。

 どうやら世の中にはファンレターを書いた経験がない人の方が多いらしい。書こう。現代ではコメントやリプライやあるいはnoteなどでいくらでも言葉を届けられるのかもしれないけれど、手紙には不思議な満足感と特別感がある。字が汚くたって読めれば関係ない、味だ。この時の推しが最高だったなとか、この曲を聴いてたら推しのことを思い出したんだよねとか、そういうことを手紙にしよう。ファンレターを勢いで書こうよ!!どうか私だけを気持ちの悪いオタクにするな!!なあ!!!!手始めに雑貨屋で推しに似合う便箋を買わないか???とりあえずでいいからさ!!!!!!!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?