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私は優しくなんかない

私は自分の選んだ選択に対して、愚痴をいうのがいちばん嫌い。人のそれを聞くのも嫌い。

昨日祖父母の家に、一家みんなで集まった。父方の兄一家、つまり私の従兄弟も、みんな勢揃いする毎年の恒例行事。

私のふたつ下の従兄弟(男)は、とある有名企業の福岡支社で営業の仕事をしている。知名度を軸に就活をし、モチベーションにして働いている、私とは違うタイプ。「残業代でなくてさー」とか「飲み会がタイヘン」とか「まじでお給料安い」とか、明るく話してた。聞いていたときの私は右から左に流して、何も感じてなくて、大企業って大変なんだなあとか思ってた。

お年玉を学生のいとこと妹にあげるとき、なぜか「毎日切り詰めててさー、ごはんは基本自炊、洋服も買わないし、旅行も海外はここしばらく行ってないし」と口に出してしまった。別に言いたいわけじゃなかった。いつもちょっと感じている鬱憤がついでてきてしまった。

今の場所を環境をすべて含めて選んだのは私。歯を食いしばって選んだ選択を肯定する努力は全力でしている。でも、愚痴を聞いているとその間口が緩んできて、私にも言わせてよって。だけど、言ったあとの後味が悪すぎて、よくない初夢を見るんじゃないかと思った。

3日ぶりに実家から家に帰ってきて最強に虚しい。実家だとベルトコンベアみたいに生きてしまう。一人暮らしで頑張っていることを言い訳に、母に甘える。ごはんでてくる、布団敷かれる、風呂沸かされる。親戚でいるとき、不機嫌になる。私の存在がなくても場が成り立つから。

両祖父母の介護に、父の介護。お父さんはふつうだけど、たまに理性がなくなってしまったようにごはんを無言で食べ続ける。だからお母さんはお父さん分のごはんを取り分ける。それ以上太ったら、血糖値上がったら、死ぬかもしれないんだよ、と母はお父さんにいう。それでもたまに油断して取り分けないと、父はずっと食べ続ける。私たちがお酒を飲んでいると、少しだけちょうだいとせがまれる。私は父のその姿が情けなくて、つい怒ってしまった。母は「ゆかは優しいんだから、心配しているんだよ」といった。

前に父のお見舞いにいっていたときもだったけど、最近祖母のお見舞いにいったときも、なぜか涙が止まらなくなった。当時の父はもう一生、一緒にふつうに、食事もできないし旅行にもいけないと思うくらいの状態だった。そんな父に、一生懸命声をかける母を見ていたら、涙腺が壊れたように涙が溢れてきていた。帰りがけ父に声をかけれず涙を流し続ける私に、母は「ゆかは優しいんだから」といった。

父は奇跡的に回復して、ほとんどのことは健常者と同じようにできる。ただお父さんの運転で、でかけることはできない。ドライブスルーで朝マックを食べる、スタバでちょっと高いものを頼む、コンビニで父がコーヒーを買うときにお菓子をこっそり買ってもらう、サービスエリアに寄る。なんてことない思い出だけど、できなくなることがわかると、そのシーンがありありと目に浮かんでくる。

去年、祖母は少しぼけている程度だった。だから、みんなで手巻き寿司を食べて、年越しそばを片手に紅白を見てた。それが毎年だった。だけど今年、祖母は一時的に病院から帰宅して、3時間一緒に昼食をとっただけだった。昨年従兄弟は結婚してなくて子どももいなかったから、一緒にカラオケにいった。だけど、今年はそうではなかった。永遠なんてないって頭ではわかっているのにね。「来年はどうなっているかわからないね」ってお母さんがいった。

一緒に住んでいる祖父と久しぶりに話した。私が転職したくらいから、色々聞かれるのが嫌になって、会わないようにしていた。今年は祖母が施設にいたため久しぶりに一緒に食事をして、なぜかお小遣いをもらった。今日帰るときに声をかけたら「またな、元気でやれよ」って言われた。父は私が帰って来ても大して話さないくせに「次はいつ来るのか」ってしつこく聞く。勝手に涙がでてくる。

母は、ほぼすべての日用品を送ってくれる。たまに肉も送ってくれる。近くのドラッグストアのポイントがつくからとかなんとかいって。私が甘えてお金ないって言ってて、とはいえ、飲み会とかは行っているのは知っているのに。

やっと涙が乾いてきた。私は一番大切にすべきものを大切にできていない。伝えたいことを伝えるべき人に伝えてない。だけど、どうすればいいのかわからない。もちろん仕事も、やりたいことも、つながりもどれも人生だ。

帰り際、お母さんに「思ってることを顔に出しちゃだめだよ、みんなわかってくれてるけど。あなたが選んだことでしょ」って言われた途端、涙がでてきた。止まれよ、涙腺。

ちょっとでも、あなたの心にひっかかったら。