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静かなさざ波

私は毎朝30分かけ歩いて仕事場へ向かう。途中に大川があり、毎日その水面をのぞき込む。それを見てて毎回思う、『水面って人の心みたいだなぁ。』と。


大川に船が通り過ぎると、波ができる。その大きさは船の大きさによって違ってくる。
大川にゴミが浮かぶと、水面は澱みなんだか悲しそう。
大川に雨が落ちると、丸い模様や私に想像力が生まれる。その模様は降り注ぐ雨の量によって違ってくる。



日々の暮らしで人間は、様々な人間関係の中に身を置き生きている。
家族や友人、仕事関係、親子、恋人、人は一つの役割の中では生きていない。日々多くの役割をこなす中で、自分の存在に影響を与えてくるのが、相手の感情だったりする。

かつての私は、人との境界線が薄く、相手の感情に引っ張られていくことが多くあり、自分以外の事で思い悩むことが多々あった。
その悩みは明らかに自分の事である場合もあれば、自分以外の相手の領域で悩んでいることがあった。

でも、よく考えたら、自分の領域と相手の領域は別のモノであって、相手の領域に入りこんでしまうからこそ、人は人で悩まされるんだと言う事に気づいてからは、少しずつ思い悩むことは減っていった。



この2つを分けて考えることは、かつての私が出来ていなかったことだった。自分の心に言葉が生まれても、『この言葉を伝えたら、相手は傷つかないだろうか?嫌われないだろうか?』と自分の中で色んなストーリーを組み立て、そこに自分を引っ張り込み、必死に自分を守り自由でいることができなかった。


結局は相手がどうのこうのではなく、自分が自分をがんじがらめにしていた事に過ぎないと気づいてからは、随分と楽になっていった。
相手の心は相手のものなので、私にできることは何もない。
出来る事と言えば、ただそっと見守るあるいは寄り添う、それぐらいしかないだろう。



かつての私は、心に一石を投じられた途端、心の水面には小さなさざ波がたっていった。その一石が小石なのか大石なのか?それによっても波の出来具合が違ってくるが、私の場合で言うと、極小の石を投じられただけでさざ波を立てていた。

この数年の混乱期に投げられた石は大石で、心に大波を立てていただけだ。


と言っても、まだまだ些細な事で波は生まれる。でも、その波が立つ自分を許し認めるだけで生きやすくなっていく。

今ではむしろ、小石を投じられただけで、自分の心に静かなさざ波を立てることができる私自身を誇りに思う。それが、ありのままの私だからだ。

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