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認知バイアスとは何か

一般的に「バイアス」というのは折り目に対して斜めに切った布の切れ端のことで、そこから「かさ上げ・偏り・歪み」を指すようになった言葉。

「認知バイアス」とは偏見や先入観、固執断定や歪んだデータ、一方的な思い込みや誤解などを幅広く指す言葉として使用されている。

「自分は偏見を持っていない」「自分はだまされないぞ」と思う人でも、読めば「目からウロコが落ちる」ような現象である。


認知バイアスの現象

よくある心理学には「認知的不協和理論」があり、「自分の本音と実際の行動が矛盾しているなど、自分の中で一致しない複数の意見を同時に抱えている状態」。

ある実験を行い、この実験に参加した男子大学生は、単調で退屈な作業を1人で1時間繰り返すことを要求された。

そして、次の実験に参加するために別室に待機している学生に対して「実験は大変面白かった」と話すように実験者から依頼され、そのアルバイト代として「1ドル」または「20ドル」と被験者によって提示される金額が異なっていた。

次の参加者として待機していた女子学生(実はサクラ)へ「実験は面白かった」と伝えた男子学生は、次に別室に連れていかれ、インタビュアーに「実験の今後の改善のため」として「作業に関する面白さ」について率直な意見を求められた。

参加者の学生がー5(非常に退屈だった)から+5(非常に面白かった)まで11段階で回答した。

実験者が注目していたのは、最後に答えてもらった「作業に関する面白さの度合い」についてである。

アルバイトの報酬として「20ドル」を提示された条件では、比較として「アルバイトを実施しなかった条件」との差があまり見られなかった。

一方、アルバイトの報酬として「1ドル」を提示された条件では、「アルバイトなし条件」「20ドルをもらう条件」より「作業が面白かった」と答えた割合が統計的に多かった。

結果として、報酬として「20ドル」を提示された学生より「1ドル」を提示された学生の方が「作業が面白かった」と答えた割合が多かったのである。

実験結果が意外に思われるかもしれないが、男子学生は「『作業がつまらない』という本音の意見」と「女子学生に向けて言わされた『実験が面白かったという感想』」の2つの感情を抱えることになる。

このように「矛盾する意見を同時に持つ」という状態は、精神的に「居心地の悪い状態」を引き起こす。(この状態を不協和と呼ぶ)

報酬に「20ドル」を提示された学生は、「他者に『面白かった』と伝える役」に対しての報酬に「20ドル」が提示されているので、不協和を感じる気持ちにも「納得のいく理由づけ」が出来るため、精神的な負担が少なくなる。

要するに「本当は退屈だと思ったけれど、対価をもらって「面白い」と言ったのだから、それでいい」。

報酬が「1ドル」だった学生は、「本当は退屈だったが、他者に「面白かった」と伝える役」という不協和を感じる状態に「居心地の悪さ」を感じているが、報酬が「1ドル」なので不協和の感情を減らすことが出来ず「自分が面白いと思ったから『面白い』と伝えたのだ」と置き換えることで、精神的な負担を減らそうとする。

要するに、自分自身をだましてでも「自分のしていることは有益だ」と思いたい「甘いレモンの心理」だろうか。

「公正世界仮説」では「良い行いには良いことが、悪い行いには悪いことが返ってくるとする認知的な偏りのこと」。

関連する語には「心理的リアクタンス」があり、「自分の選択や行動の自由を制限されるように感じると、制限されるものに対して反発し、逆らう行動をとること」。

子供の頃に悪いことをすると親や先生などから「罰が当たるよ」と言われたり「自業自得」「因果応報」という言葉もあるし、「好意の返報性」という言葉もある。

ある実験で実験参加者に、他人が様々な条件下で電気ショックを受ける状況を見せて、参加者の感情がどう変化するかを見る実験で「電気ショックを受けて苦しむ姿」を見続けていると、実験が進むにつれて「電気ショックを受けている人」を蔑むようになっていくことが分かった。

研究者たちは、参加者の感情に変化が生じた理由について「電気ショックを受けて苦しんでいるのは、本人の行いが悪いからに違いない」と考えるようになったため、と結論付けた。

「日頃の行いが良ければ良いことが、日頃の行いが悪ければ悪いことが返ってくる」「その行動にふさわしい結果がその人に降りかかる」「本人の日頃の行いが悪いから、ひどい目にあったのだろう」とする考え方。

「本人には何の落ち度もないのに苦しんでいる人がいる」という現実を直視すると「自分も理不尽に傷つけられることがあるかもしれない」「ひどい目に遭うことがあるかもしれない」という不安な気持ちから逃れるために「公正世界仮説」を信じるのだろうということ。

犯罪の被害者、生活保護を受けている人などの「社会的弱者」に対して世間の反応が厳しくなるのは、裏に「このような心理」があるからなのだろうか。

「覆面男の誤謬」では「置き換えについての知識不足によって生じてしまう誤謬」。

関連する語には「四個概念の誤謬」があり、「三段論法で用いられる概念に4つ目を加えることで生じてしまう誤謬」。

若い人が知っているかどうかは分からないが、映画のスーパーマンでは「クラーク・ケント=スーパーマン」という設定がおなじみ。

バットマンなら「ブルース・ウエイン=バットマン」という設定。

例えば、ある女性はクラーク・ケントの知り合いではあるが「クラーク・ケントがスーパーマンである」ということは知らない。

ある日、女性は知人から「あなた、スーパーマンと知り合いなの?」と聞かれたが、「クラーク・ケントがスーパーマン」だとは知らない女性は、知人に「知り合いなわけないでしょ」と答えた。

この女性は「クラーク・ケントとは知り合い」なので、女性が「クラーク・ケント=スーパーマンである」ことを知らなくても「スーパーマンと知り合いである」という表現は成り立つ。

女性が「クラーク・ケント=スーパーマン」だということを知らなくても成り立つ、というところに納得がいかないが、そういうことになるらしい。

「クラーク・ケントと知り合いである」「クラーク・ケントはスーパーマンである」だから「スーパーマンと知り合いである」と置き換えても表現の仕方に偽りはない、ということである。

しかし「置き換えのできない特殊な命題」も存在する。

ステップ1 ある女性は「クラーク・ケントが冴えない男だ」ということを信じている。

ステップ2 「クラーク・ケント」を「スーパーマン」で置き換える。

ステップ3 ある女性は「スーパーマンは冴えない男だ」ということを信じている。

文の中に「信じる」「愛する」「望む」「疑う」というような動詞が含まれる場合、行為の主体(その行為を行う人)の主観やとらえ方が、文の成立にも影響を与える。

この場合「ステップ1」が成立しているからといって、「ステップ2」の置き換えにより「ステップ3」が成立するわけではない、ということになる。

よって、「クラーク・ケントは冴えない男であると信じている」「クラーク・ケントはスーパーマンである」、だから「スーパーマンも冴えない男であると信じている」は置き換え不可である。

「冴えない男だと思っていたら実はスーパーマンだった」というパターンは、それこそ「変身ヒーローもの」の醍醐味だったりするので、それはそれでいいけど。

そもそも「信じる」「期待する」という感情は、必ずしも「客観的な事実」なわけではないかもしれないわけだし。

その他にも「二分法の誤謬」では「実際にはより多くの選択肢が存在するにもかかわらず、限られた選択肢しかないと思い込んでしまうことにより生じる誤謬」。

「お前だって論法」では「相手の主張が本人の振る舞いと食い違っていることを指摘し、論点をそらすことで相手を負かそうとする論法」。

「感情移入ギャップ」では「対象に対して怒りや好意など何らかの感情を持っていると、その感情を持たない視点から考えることが難しくなってしまうこと」。

人間は主観に左右される生き物だし、自分を守るために「客観的な現実」をあまり重視していないのかもしれない。

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