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[龍翔山華蔵寺+あだし野念仏寺 西院の河原+鋸山日本寺 百尺観 音薬師瑠璃光如来+石山観音公園+磨崖不動明王像+弥勒磨崖仏+十六羅漢岩+大門仏谷 阿弥陀磨崖仏] 穢れを祓い、そして私たちは幸せに生きる

ドライブの途中、「あれ、今の何?」と見過ごしがちなものの中にあるのが摩崖仏。数千年以上も雨風にさらされ、自然に溶け込みながらも迫力がある姿かたちを眺めていると、その摩崖仏に込められた素朴な祈りの強さに引き込まれそうになります。

石の不動明王(龍翔山 華蔵寺 - 島根県松江市)
石仏の不動尊像は崖の上に鎮座、日本でも有数の大きさ

磨崖仏/摩崖仏とは石仏の一種として、自然の巨石や岩壁に彫刻した仏像のことです。石塊を彫り上げた石仏、岩壁に刻まれた磨崖仏(摩崖仏)、そして石窟(せっくつ)内の壁面に彫られた石窟仏の3種があり、中でも大分県には多くの磨崖仏が見られ、全国の7割が集中していると言われています。

西院の河原(あだし野 念仏寺 - 京都市右京区)
極楽浄土で阿弥陀仏の説法を聴く人々になぞらえ配列安祀された石仏・石塔

インドや中国などアジア地域の仏教圏で広く行われていた、この自然の岩山に仏像を刻む行為は仏師の仏教への意思の強さを感じるだけではなく、その仏像を見た人々の信仰心を強める造仏といっても大言壮語ではありません。

百尺観音(ひゃくしゃくかんのん)
(鋸山 日本寺 - 千葉県安房郡)
世界戦争戦死病没殉難者供養と交通犠牲者供養のために建立
薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)
(鋸山 日本寺 - 千葉県安房郡)
世界平和と万世太平の祈願建立

仏教の教えは苦しみから解放されて幸せになる教えです。私たちがもつ108の煩悩を消し、心を清めていくことで、ひいては苦しみから解放され、私たちは幸せになれます。本寄稿を通して、少しでも私たちが幸せに生きれるように造仏された摩崖仏を知ってもらうきっかけになれば幸いです。



石山観音公園(いしやまかんのんこうえん) - 三重県津市

石山観音磨崖仏群は、かつて京や近江から伊勢方面に向かう人々でにぎわった旧伊勢別街道の芸濃地区楠原西部の山中にあり、山のすべてがほぼひとつの石で出来ている巨岩の岩山である。阿弥陀・地蔵・西国33ケ所観音など、約40体の石仏像が半彫りに彫り込まれており、その場所は「巨岩・馬の背」と命名されている。

石山観音公園の少し南側に小川があり、その橋の下にも石仏があり、左岸の浸食崖に2体の地蔵菩薩、反対側の右岸に梵字種宇三体が刻まれている。これらの石像は敢えて人目につきにくい場所を選んで作られており、雨乞いのためとされている。

地蔵菩薩 側面
地蔵菩薩 側面
梵字種宇三体


磨崖不動明王像(まがいふどうみょうおうぞう) - 滋賀県湖南市

花園の集落から岩根山へ登る中腹にある巨大な像は高さ4.3m、幅2.1m、右手に持った宝剣の長さは2.3mの高さ6.2mの岩に彫られている。

渓流を見下ろすようにそそり立つ巨巖であり、絶壁にある。



弥勒磨崖仏(みろくまがいぶつ) - 京都府相楽郡笠置町

京都、奈良、滋賀、三重の県境近くにある笠置山は神が宿る山として、巨岩・巨石が連なる山々を神と崇拝する磐座(いわくら)信仰があった。

役行者(えんのぎょうじゃ)に縁のある笠置山 笠置寺には本尊の弥勒磨崖仏があり、3度もの火災によって炎にさらされた結果、現在はその姿は消え去り、光背部分の輪郭だけが残されている。

十六羅漢岩(じゅうろくらかんいわ) - 山形県遊佐町


山形県と秋田県にまたがる鳥海山のふもとにある22体の磨崖仏は、吹浦海禅寺21代寛海和尚が、この海で遭難して亡くなった人の霊を慰め、安全祈願をするために造仏したとされており、布施である程度お金が貯まると一体の像を造るということを繰り返して作り上げたと言われる。

羅漢(阿羅漢)は仏教において最高の悟りを得た聖者を指し、この境地に達すると迷いの輪廻から脱して涅槃に至るとされ、磨崖仏の完成を見た後、明治4年1871年7月に寛海和尚は自身が守り仏になるため、羅漢岩の傍らの海に身を投じ、71年の生涯を閉じたとされる。


番外編

私と摩崖仏との出会いは、火曜サスペンス。
浅見光彦シリーズの「平城山を越えた女(2013年5月10日放送)」に出てきた大門仏谷の阿弥陀磨崖仏に、背筋が「ぞく」としたことを今でも鮮明に思い出します。岩船寺(がんせんじ)から浄瑠璃寺(じょうるりじ)周辺には多くの石仏が現存しており、その中でも浄瑠璃寺の大門があったことから大門仏谷の阿弥陀磨崖仏と呼ばれており、その姿が見えた瞬間には、驚嘆で声が出ます。
世俗化した奈良仏教を良く思わない僧侶が穏遁の地として京都府木津川市加茂町当尾地区に草庵を結び、その後、寺院や修行場が拡がり、多くの石仏や磨崖仏が造立されたようです。今ではその石仏達が極楽浄土への道しるべのような、特に阿弥陀磨崖仏の谷間は、「浄土へ昇華するまで、しっかりと現世を生きなさい」と諭されているようで、私は遠くから摩崖仏を眺めていることで心が安らいでいることを感じます。

大門仏谷の阿弥陀磨崖仏

ストレスやエネルギーヴァンパイヤーから心を開放する方法は千差万別。
私の場合、神社でお百度を踏むことを想像するだけで心が癒され、またお寺に漂うお線香を香ぐだけでふわっと体が軽くなります。ちょっと気が重いや身体がだるいといった症状が出てきたら是非、その時に目についた・気になった神社仏閣や自然の緑の中へ足を踏み入れてください。きっとその空間はあなただけの聖域として「守り」をもたらしてくれるでしょう。

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