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一切は神の中にある

神はその人に相応しい使命を与えると言われます。

人により与えられる体験、境遇に違いがあるのはそのためです。

神より与えられた使命を果たすまでは、常に何らかのかたちで使命と向き合うことを強いられることになります。

神の仕組み故に誰であろうと逃れることは出来ません。

なぜなのか?

神は一切の歓喜、弥栄を実現しようとするためです。

神の心とは歓喜、弥栄です。

それを理解し、神心になることを改心、身魂磨きと言います。

皆さんにとって現在、与えられているものが神心になる道そのものです。

個人として生きていることも、様々な感情に振り回されることも、悩み苦しむことも神心への過程です。

進んでいてこそ道と呼べ、過程と言えます。

止まったままでは過程とは呼べません。

神心の弥栄とは、より良くです。

現在より、より良くの姿勢が弥栄です。

神心を知りたかったら、神心になることです。

日月神示にはこう書かれています。


日月神示
【キの巻 12帖】
見苦しき霊(たま)には見苦しきものうつるぞ、それが病の元ぞ、見苦しき者に、見苦しきタマ当たるぞ、それで早う洗濯掃除と申してくどう気つけておいたのぞ。
⦿(かみ)の試しもあるなれど、所々に見せしめしてあるぞ、早う改心してくれよ、それが天地への孝行であるぞ、てんし様への忠義であるぞ。


【キの巻 17帖】
すり鉢に入れてコネ廻しているのざから、一人逃れようとて逃れること出来んのざぞ、逃れようとするのは我れ善しざぞ、今の仕事、五人分も十人分も精出せと申してあろうがな、急ぐでないぞ、その御用済みたら次の御用にかからすのざから、この世の悪も善も皆御用と申してあろが。
身魂相当の御用致しているのざぞ。