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かわいい本には旅をさせたい。

私がなぜ本を買うかといえば、それは人に貸すためのような気がする。

最近、「やってる場合か」と思いながら本を買ってしまう。新宿紀伊国屋の2階と4階で読みたい本の多さに途方にくれながらだいたい2、3冊レジに持って行き、5000円札を出してお釣りをもらって帰る。お金があんまりないくせに買ってしまう。読みたくて買ったはずなのに、あまりはかどらないのが不思議でしかたがない。

でも、急に読むペースがあがるときがある。「この本、あのひとが読んだらどんなふうに考えるのだろう」というときだ。

年末、人に私が好きな詩人の本をプレゼントした。持ってなさそうだけど好きそうな本を選んで、お手紙と一緒に包んだ。お金を払った後「本をプレゼントにするなんて失敗したかなあ」と思ったけれど、そういうことが許されそうな間柄だったし実際喜んでもらえた。それがかなり嬉しかった。

年始、10ヶ月くらい貸していた本が返ってきた。その子がうちに泊まったときに「読むと救われるから」と押しつけた本。彼女は「救われたよ」と言っていた。私のおかげでもなんでもないけど、鼻高々だった。

読書というのは基本的に自己投資のはずで、わたしのこの姿勢はかなり不純だし罰当たりのように思えるけど、読むべき人のところに読むべき本が渡ってほしいと思う。あわよくばそれを身近なところで見ていたいというのが問題かもしれない。この宗教的で清らかな瞬間をエンタメみたいに捉えてごめんなさい。どうしようもなく冒涜的な人間でごめんなさい。

これからもたぶん、通り魔的に本を貸しつけるんだと思う。「すぐに返さなくてもいいから」「何なら返さなくてもいいから」とか適当なことを抜かしながら、本の旅立ちを見送ることになるんだろうな。


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